【TAKAみちのくインタビュー】<第2弾>KAIENTAI DOJOの15年を振返り、さらに20周年へ踏み出す!

※15周年記念後楽園大会のPRの際に団体の15年の振返りや、今後の目標なども語ってくれた内容を公開!

 

<団体15周年を振り返る。社長として、一レスラーとして>

――KAIENTAI DOJOが設立して15周年です。TAKAさんからみると、どんな15年でしたか?

TAKA:終わってみればあっという間ですけど、苦しい時代ばかりでしたね。自分がレスラーになって10年で会社を立ち上げたんですけど、それまでの10年は一レスラーでしかなく、自分で立ち回って自分でお金を稼いできた。それはうまくやってきた方だと思うけど、10年目に経営者になった。右も左もわからないまま会社を作って社長になっちゃったので、やるしかない。そこから、経営も営業もよくわからないまま、15年経っちゃったな、という感じです。

――プロレス団体を15年も経営して、選手も抱えてやっていくのは凄いことです。後楽園で記念大会ができることに、感慨ひとしおでは。

TAKA:意地ですね。後楽園大会ができなくなったら終わりだと思っているので。仲良くしているDDTさんや大日本プロレスさんは後楽園興行を毎月やって、1000人以上集客して、年に一回は両国国技館大会もやっている。それは刺激になるし、悔しいし、追いつきたいと思っています。KAIENTAI DOJOは、4月の周年記念大会だけは絶対に後楽園でやろうと決めてやってきました。思えば旗揚げ当時、何もわからなかった頃は自信満々でしたね。旗揚げ興行(2002年4月20日・ディファ有明)は大成功して、最初の後楽園ホール(2002年9月)も1000人入って、何の根拠もないけど、いけるなと思っていた。「5周年で両国かな? 10周年で東京ドームもいけるんじゃないかな?」と考えていた(笑) その頃は自信がありました。だけど旗揚げの年の年末には一気に潰されて、会社経営、興行会社って大変だと、その年に思いましたね。なかなか苦しかった。

――それでも逃げ出さずにここまでやってきましたね。その原動力も意地でしょうか?

TAKA:意地もありますけど、窮地に追い込まれてもう無理だというところで、手を差し伸べてくれる人が現れるんです。そういうご縁に恵まれて、走ってこられた。最近では十枝会長がそうですけど、ダメだというところでいい出会いがあって、そこから立て直して、こうやって生き延びてこられたということは、まだやれということでしょう。それに加えて、自分が会社を立ち上げた一番の理由は、プロレスラーがプロレスをできなくなったら社会で通用しない人が多いんですよ。昔はすごかった昭和のレスラーが、プロレスをできなくなってから何をやっているかといえば、工事現場なんかで、ごく普通の仕事をしている。それを聞くと悲しくなるじゃないですか。翻って自分はどうなんだろうと考えると、料理ができないから、ちゃんこ屋もラーメン屋もできないし、結局自分はプロレスしかできない。だけどプロレス団体を立ち上げておけば、プロレスができなくなっても興行で生きていける、それなら一生プロレスにかかわっていられると考えました。それでWWFを辞めるときに、土台を作った。せっかくまとまった金ができたので、そのお金を使って会社を立ち上げて、将来の先行投資のつもりで団体を始めたんです。いまだにその先行投資は帰ってきていないですけど(笑) いつかはプラスになって、これで食っていけるようにしたい。うちの選手もプロレスで食えていないので、彼らが食えるような団体にしなきゃな、と思っています。

――KAIENTAI DOJOはしっかりとしたレスラーを育成しています。TAKAさんがこの団体を作ったおかげで、プロレスラーになり、さらにここから巣立っていったレスラーも多くいらっしゃいます。

TAKA:(15周年興行のポスターに出ている)この四人(関根龍一・山縣優・木高イサミ・KAZMA SAKAMOTO)が元KAIENTAI DOJOの選手、いわば卒業生。彼らは外でそれなりに活躍していて、こういう時に声をかければ出てもらえるような関係を築いています。辞める時も、喧嘩別れじゃなくて円満に離脱してもらって、何かがあったら来てもらえるような関係を築いてきたつもりではあるので。KAIENTAI DOJOがなければ真霜拳號なんかはレスラーにもなっていないですからね。逆に言うと、KAIENTAI DOJOがなければこんな変なレスラーにならなかったと思う奴もいると思うけど(笑)

――レスリングはしっかりと指導していると聞いています。

TAKA:選手には最低限のプロレス技術は身につけさせたくて、まず最初に道場を作ったんです。だけどうちの選手に言いたいのは、体ができてない。ウェイトがいつでもできる環境にあるのに、なぜなのか。それは個々の努力なので、自分もうるさく言わないけど……。自分が最初に入ったユニバーサル・プロレスリングは自前の道場を持っていなかったので、週に一回、全女さんの道場を借りてリングトレーニングして、あとは各自でした。練習生時代はお金もなかったので、日雇いのバイトで生きていて、ジムに行くお金もなかったので、公園の鉄棒で懸垂したり、プッシュアップをやってきた。今の道場は何でもそろっているので、自分で好きな時に好きなだけやれるのになぜ、とは思うんですが、結局そこは個々の努力なんですよ。その環境に甘えているというか。入った時点でリングとウェイト器具があって、いつでも使えるのに。

――環境はすごく恵まれています。機材がそろっているのはとても貴重なことですね。

TAKA:だから(環境に)甘えているとしか思えない。

――団体の社長としては。

TAKA:いつ行っても道場で熱心にトレーニングしている奴がいる。そういうやつは体が違う。やれば変わるんです。体がしょぼいということは、どこかでさぼっている。それははっきり出ます。

――15年はいろいろあったんですね。

TAKA:自分がもっと厳しい人間だったらよかったんですけどね。自分にも甘いので他人にも甘いんでしょう(笑) 自分も気分でウェイトやって、毎日やるタイプではないんです。自分が努力が嫌いだから、他人にも押し付けられない。さらに掘り返すと、ザ・グレート・サスケさんの影響かも(笑) サスケ会長にもあまりうるさく言われなかったですね。あの人は放任主義だから。最初の礼儀は厳しいけど、あとは好き勝手やらせてもらった。悪いところを受け継いだ(笑)

――新日本プロレス所属時代は、長州力さんが現場監督でしたけど、その頃も合同練習には行かなかったんですか?

TAKA:道場には行ったことはないですね。巡業行ったら合同トレーニングがあって、嫌だったけど、やらないと怒られるし、馳(浩)さんに「おいお前もやれ、いっしょにやれ!」って言われたのでやりましたけど、しんどかったですよ。そういうタイプではない。自慢でもなくてただの不名誉だけど、レスラーになる人はだいたい入団前にスクワット1000回とか2000回とかやってるのに、自分はレスラーになる前もなった後も、スクワット1000回なんてやったことはありません(笑) 最高で500回(笑)

――長州さんに「あいつは宇宙人か?」と呼ばれてた人が(笑)

TAKA:もともと運動神経がよくて、ばねがあっただけです。当時は自分でも自覚してなかったけど。だいたい、その最高500回もユニバーサル・プロレスリングのテストの時(笑) 人生初500回。

――ぶっ倒れましたか?

TAKA:全然余裕でしたよ。当時高校生で、岩手県のアマレスの厳しい学校でトレーニングしていたので、スクワットはやらなかったけど、体力はありました。現役高校生のまま、学校を抜け出してテストを受けてきましたね。当時の部活の先生が根性の塊みたいな人で、「苦しい時に苦しい顔をするな!」とぶん殴るような先生だったので、脚プルプルしながら涼しい顔でやりましたね。優秀な結果を出せたと思います。今思えば、その場所に邪道さん・外道さんがいましたね。テストの時にいました。その頃からの付き合いです。長いです。その時、邪道さんに「お前いいなあ」って言われた記憶がある。本人は覚えていないだろうけど、すごくうれしかった。それが今でも続いているのは凄いですね。カズ・ハヤシと気仙沼二郎も、同じ入団テストに居合わせていました。

――カズ・ハヤシさんは、WRESTLE-1で社長に就任されました。

TAKA:電話をもらいました。社長になっちゃったよ、同じ立場ですね、お互い頑張りましょうって、当たり障りない会話を(笑)。歳が一緒で同期なんですよ。

――同期の間でも敬語ですか?

TAKA:同期間で仲がいいと友達になるじゃないですか、だけどカズ・ハヤシとはお互い敬語ですね。仲良くないかも(笑) お互いタイプが違うんですね。彼はまっとうな人だけど、こっちは思い付きででたらめに動くので。嫌いとかじゃないですよ。会えば話もするし、試合をすれば、戦っても組んでも手が合う。腐れ縁なんですよ。ユニバーサルのテストも、デビューも一緒です。二人ともみちのくプロレスに行って、自分がメキシコに行ったら彼もメキシコに、自分がアメリカに行ってWWF入ったら彼はWCW、今度はWWFとWCWが合併して、カズはやめて全日本プロレスに入って、自分もあとから日本に戻った直後に全日本プロレスに出るようになって、敵対したのが組むようになった。なんだかんだで今でも腐れ縁です。

――当時のみちのくプロレスで鍛えた遺伝子が皆さんにも残って、今でも経営者として頑張っていらっしゃる。

TAKA:カズ・ハヤシが社長となるとは思わなかった。一生懸命頑張ってますよね。自分も旗揚げ当時は想定外のことの連続でした。彼もきっとこれから苦労するとは思いますが、お互い25周年ですから、どこかで交わりたいですね

――記念イヤーでは、カズさんとメモリアルマッチをやりたいですね。

TAKA:特に彼とは、良くも悪くも因縁深いですからね。巡り巡って同じ立場になりましたし。今カズ・ハヤシと対談したら、ものすごく話が合うと思いますよ。距離感があるけど共感する部分もあると思います。お互いプレイヤーで社長じゃないですか。

――社長兼プレイヤーという点では、(プロレスリング・ノア副社長時代の)丸藤さんからこんな話を聞きました。「副社長としては下の奴が上がってこないと盛り上がらないけど、プレイヤーとしては下の奴が上がってきた結果自分が下がるのが嫌」で、そこに葛藤があると。

TAKA:ありましたね。だけど今はないですね。この前も吉田綾斗と真霜拳號の挑戦を受けて、やられて悔しいけど、ここまできたなという思いの方が大きかった。

――その矛盾を乗り越えて気持ちの整理ができたんですね。

TAKA:この15年、ポスターに載っている何人に踏み台にされたことか(笑)半分の奴にやられてますよ。

――それもまた、レスラーをやる以上は必要な過程ですよね。

TAKA:うまくやらないと、猪木さん時代の新日本プロレスみたいに、世代交代できなくなる。そうなってはいかんなと思っていたところで、早々と真霜も上に行ってくれた。それでいいんだなと思います。DDTでも、高木さんがふわっとしたところにいる。その位置が一番いいんですよ。いざとなったら上にも行けるけど、どこにでも行ける位置にいる。自分の場合は、プロレスラーとしての野心は新日本プロレスで好き勝手できるので、それがストレスの発散にもなります。

 

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