アイドルレスラーで一世風靡のキューティー鈴木「生まれ変わったら…」

【WEEKEND女子プロレス#82】

 1980年代後半から90年代にかけ、アイドルレスラーとして一世を風靡したキューティー鈴木。アイドル的プロレスラーといえば必ずしも彼女が第1号ではないものの、“非”全日本女子プロレス系の選手として全国区的人気を博したのはキューティーが最初ではなかろうか。ジャパン女子からJWPで活躍したキューティーは、やられっぷりのよさから注目を集め、弱いイメージがついてしまった部分もある。が、当時から受けの巧さや打たれ強さには定評があり、事実、大きなケガのないまま12年間のプロレス生活を駆け抜けた。記録よりも記憶に残るレスラーの代表格と言ってもいいだろう。


※本人提供 

 子どもの頃から女子プロに興味を持ち、ビューティーペアにあこがれた。運命が激変したのは中学3年生のとき。クラッシュギャルズがブームとなり、近所にプロレスが来るというので優待券を握りしめて屋外の会場に出かけてみた。そこで一瞬にして華やかな女子プロの世界に魅せられたのだ。

「もうこれしかないと思いました。その日からプロレス一色の学生生活になりましたね」

 そして全女のオーディションに応募したのだが、高校進学後も落ち続けた。当時はクラッシュブームとあって競争が激しく、書類選考で落とされるのも当たり前。そんな時代だったが、彼女はあきらめてはいなかった。

「落ちるたびにしょげてましたけど、18歳までは受ける資格があると、前向きにはなれました。そんな頃に友だちから新団体設立の話を聞いたんです」

 ジャパン女子プロレスという団体が旗揚げするらしい。当時の女子プロと言えば全女のみ。そこに初めて他団体が参入するというではないか。どんな団体になるのか誰にもわらない状態だったが、藁にもすがる思いで応募した。なにがなんでもプロレスラーになりたかったからだ。

「履歴書や親の同意書が必要だったんですが、親に頼んだら『新団体なんていつ潰れるかわからないからダメ』と言われてしまったんです。そこで大人っぽい字を書く友だちにサインしてもらって応募。オーディションは10日間くらいかけてやってましたね。(応募多数のため書類の段階でふるいに分ける)全女よりしっかりしてたと思います(笑)。なので、しっかり見てもらえた感覚はありました。その2、3日後だと思うんですけど、『事務所に来てください』という電話があったんですね」

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