児童養護施設でプロレスを知り平成を選手で完走、現在は覆面社長のコマンドボリショイ

【WEEKEND女子プロレス#90】

 PURE-Jを率いる覆面社長として奮闘、団体を切り盛りするコマンドボリショイ。彼女は大阪の児童養護施設で育ち、そこからプロレスを知りプロレスラーへの夢を実現させた。ジャパン女子プロレス入門が平成元年で、平成最終年の令和に移行する前月に現役を引退。つまり平成をまるごとプロレスとともに完走、ひとつの時代を駆け抜けたことになる。「昭和でプロレスにあこがれ、平成で選手活動、令和でプロレスに恩返しできたらいいなと思っています」と、ボリショイ。三つの時代をまたがりプロレスに関わってきたボリショイ社長に、まずはプロレスとの出逢いから語ってもらった。


写真提供:コマンドボリショイ

「お父さんが亡くなって、お母さんが子育てを十分にできなくなってしまったんです。きょうだいが多くて、私が2歳のときにみんな施設に預けられたんですね。もちろん当時の記憶はありません。ただ、何箇所かに分けて預けられて、兄、弟2人と同じ施設に入りました。

お姉ちゃん2人は別のところで、みんな別々に生活していたんですけど、夏休みになると親が数日間引き取りにくるんです。それで里帰りしていたときに、初めてテレビでプロレスを見たんですね。私が小学生のときです。デビル雅美さんとジャガー横田さんがシングルマッチをしていて、デビルさんがジャガーさんの髪の毛を持ってぶん投げたんですよ。お兄ちゃんはジャガーさんを応援してたので、私は必然的にデビルさんを応援。虐待ではないですけど、当時は教育の一環で髪をつかまれて投げられるなんて当たり前でもあったので、これだったら私にもできそうだと思ったんです。これが私の夏休みの思い出(笑)。

そこから2年くらい経ったのかな。施設で先生がいない間にこっそりテレビをつけたらクラッシュ・ギャルズが出ていて、ちょうどブームのときだったんですよ。そのときデビルさんも出てて、あのときのデビルまだやってるんだとビックリしたんですね。そのときの入場シーンがまた衝撃的で、すごくお金持ちに見えたんです。私が日頃受けている教育(体罰)はお金に代わるんだ、私にはプロレスしかない、プロレスラーになろうと決めました」


写真提供:コマンドボリショイ

 プロレスは、身体一つで稼げる世界。そう感じた彼女は、プロレスラーになるにはどうすべきか考えた。自主的に筋トレメニューを組んで、回数を増やしていった。そんななか、施設の先生たちは彼女の身体能力の高さをわかっていたようで、将来は体育大学に進学させようと考えていたらしい。が、本人は「大学行ってもお金にならんわ」と反発。まずは武道と考え、中学ではとりあえず剣道部を選んだ。しかし、防具に費用がかかると知り柔道に方向転換。ところが部員は男子だけと断られ、合気道部へ。その後、プロレスラー志望と知った柔道部顧問の先生が彼女のところにやってきた。
「オマエか、プロレスラーになりたいのは。だったら柔道やったらええ。神取忍みたいになれや。女子生徒を何人か連れてきたら、女子柔道部創ってやるから」
 そして彼女は数人を引き込み、女子柔道部の一期生となった。また、施設側もプロレスラー志望と知り、特別に施設外での練習も許可してくれた。そして在学中に全日本女子プロレスとジャパン女子プロレスのオーディションに応募。全女は返事がなかったものの、ジャパン女子からは返答があり上京。「オマエが本気なら私もついていくよ」と、空手の先生も手伝ってくれた。結果、体力テストに合格。その日のうちに面接試験がおこなわれることになったのだが…。


写真提供:コマンドボリショイ

「一番最初に(合格の)名前が呼ばれたので喜んでいたら、先生がすごく厳しい顔で戒めてくれたんですね。『まだ終わったわけじゃない、次の面接がダメならすべてダメになるんだぞ』って。それで気を引き締めて面談に臨めました。そのとき、面接官にデビルさんがいたんですよ。全然知らなくて、ビックリしました」
 当時、デビルがジャパン女子とは知らなかった。が、女子プロに興味を持つきっかけとなった選手が目の前で自分を審査している。彼女からすれば、奇跡的な再会である。
「デビルさんからは開口一番、『いま身長は伸びてますか?』と聞かれました。私は戸惑いながらも元気よく、ハイ!と、ウソをついたんですね。その3年後くらいに、デビルさんがじっと私の方を見ているときがあって、『ピコさあ、あのときから背は伸びた?』と聞かれて、実は止まってますと正直に答えました。デビルさん、ゲラゲラ笑ってましたね。『だったら、いまの小さい自分をどう活かすか考えなさい』と言ってくれたんです」


写真提供:コマンドボリショイ

 晴れてジャパン女子に入門した。が、デビューまでに2年余りの時間を要した。本人は体力に自信があったものの、やはりプロの世界は厳しかった。また、自身は強くなることばかりを考えていたが、プロレスは強さばかりではない、エンターテイナーになることも必要と悟ったのである。

 デビューから彼女はマスクをかぶり、ピエロキャラのボリショイ・キッドとしてリングに上がっていたのだが、デビルの助言からも小さい自分を活かすスタイルを考えるようになった。ところが、ジャパン女子が解散に…。

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