【編集長コラム】「やはり”凄いヤツ”だった谷津嘉章。”義足のプロレスラー”として復活」

やはり谷津嘉章は「凄いヤツ」だった。

昨年6月、糖尿病の悪化から右足をヒザ下から7センチ残して切断した谷津。リハビリに励み、2020年東京五輪の聖火ランナーに選出されたが、ついには「義足レスラー」としてリング復帰を果たすこととなった。

復活の舞台はDDTの6・7さいたまスーパーアリーナ「Wrestle Peter Pan」大会。右足切断前に上がっていたDDTのマットで「日本人初の義足レスラー」が誕生する。

谷津は「右足を失った直後は喪失感がすごかった。まさかプロレスができるまでになるとは思わなかった。こんな日が来るとは」と感慨深げ。実際、手術直後には「リハビリを頑張って、聖火ランナーを目指したいけど、どうだろうね」と、伏し目がちだった。

とはいえ、すぐに「何事もチャレンジ」精神に火がついた。もとより谷津のアスリートとしてのポテンシャルは超一流。レスリングで1976年モントリオール五輪に出場し、1980年モスクワ五輪では日本のボイコットで幻に終わったが、金メダルの最有力候補だった。プロレスラーとしても新日本プロレス、全日本プロレスなど、多くの団体で活躍した「プロ魂」も健在で、リハビリを順調に進めていった。

生来の前向きな性格に加え、退院した昨年10月には「リング復帰」を視野に捕らえていた。目標を持つことによってさらに意欲倍増。周囲が驚くほどのスピード回復をしてみせた。

年明けには、DDT・高木三四郎大社長に義肢装具業界をリードする川村義肢株式会社の川村慶社長を紹介され「プロレス用義肢」の開発を依頼。川村氏は高木大社長の高校の同級生とあって、谷津の相次ぐ注文を、義肢装具士の小畑祐介氏とともに解決して、プロレスの激しい動きにも対応する「ヤツ・スペシャル(Y・S)」を開発した。

世界最先端の技術を駆使した「Y・S」は、わずか2・2キロ。驚くほど軽く、動きもスムーズ。もちろん頑丈だ。今後さらなる改良を続け、6・7さいたま大会では、谷津の頼れる右足となってくれるはず。

川村氏、小畑氏は「谷津さんはハートの凄い人」と、声を揃える。普通なら義肢に慣れるのにも時間を要するのに、わずかな時間で義肢を使いこなしてしまう谷津の運動能力に感心しきりだ。


※「Y・S」のさらなる改良を目指す川村氏㊧、小畑氏㊥と高木大社長

谷津は「素晴らしい義肢を用意してもらった。右足は大丈夫。それを支える左足をもっともっと鍛えないと」と、リハビリいやトレーニングにいよいよ集中する日々だ。切断直後にお見舞いに行った時に比べたら、別人かと思うほどに表情もイキイキしていて、こちらまで嬉しくなった。

記者会見には練習風景の動画も流された。軽やかなロープワーク、監獄固めやブルドッキングヘッドロックまで披露。会場がどよめいた。

SNSでもアップされ、それを見た選手たちから「義足であそこまで動けるのは凄い!」「本当にビックリした」という驚きの声が続出した。誰が見ても驚くだろうが「自分だったら」と考えるからか、実際に試合をしている選手が一番驚いたようだ。

無我の若手時代、谷津の所有するSPWFの道場を西村修が借り上げていた関係で、そこに住み、時には谷津の指導を受けたこともある征矢学は「すごいですよね! 谷津さんの姿に、自分ももっと頑張らねば、と思いました」と刺激を受けていた。それほどインパクトは大きかった。

聖火ランナーとして3月29日に、栃木県足利市を走る谷津。リレーにはランニング用バネ板の義肢で登場する。日常生活用義肢もあり、6・7さいたま大会にはプロレス用義肢「Y・S」を着用する。

3本の義肢を使い分ける「凄いヤツ」谷津嘉章から目が離せない。

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