【今日子のプロレス今日この頃】㊺「ないしょの話」㉛谷津嘉章
こんにちわ!今日子です(^^)
コロナ禍で「やられたらやり返す。倍返しだ!」のドラマ・半沢直樹の放送開始も延期されましたね。 忠臣蔵の討ち入り、荒木又右衛門の鍵屋の辻、曽我兄弟など仇討ものが大好きな私は、とても楽しみにしていたので残念です。
古くからのプロレス仲間の長女が東大に合格しました。あんなに小さかった赤ちゃんが。一緒にプロレス見に行ったよね。大歓声の中、すやすや寝ていて「この子は将来、大物になる」と思ったのが昨日の事のようです。勉強ができる子だと聞いて、東大受験を一番最初に勧めたのは私だったと思います。Mちゃん、おめでとう! 我が事のように嬉しいです。しかも私が贈ったキティちゃんのシャーペンで受験して合格したと聞き、胸が熱くなりました。
高3の時、担任の先生が「プロレスなんか見ていたらバカになって受験も失敗する」とみんなの前で言いました。何ですって!?(-“-) 怒髪天を突くとはまさにこの事。プロレスがバカにされたのは絶対に許せません。「もう一度、言って下さい」と申し上げたら、また同じ事を言いました。
普通、まずかったかなとか、裏の意味を感じ取りませんか? この人は教育者ではない! ダメだこりゃと思いました。そこで志望校を電撃変更。「プロレスなんか見ていて受かる訳ないだろう」無謀だと笑われ、さらに腹が立ちました。
「やる前から負ける事を考える奴がいるかよ!」という猪木さんの言葉を思い出し、飛龍革命の藤波さんのように「やりますよー!」と前髪をハサミで切り、ペンダコがつぶれるほど死にもの狂いで勉強し、先生が2回も落ちた大学の、しかも同じ学部を受け一発合格しました。
高い志も明確な目的意識もなく、興味もない理系の学科だったのですが、ただ単にリベンジのために受けたので入学してから本当に苦労しました。「おまえ、そこで何を勉強するんだ」と親には説教されるし。やっぱりそんな理由で大学を選ぶものではないですね。
ですが、合格したと報告しに行った時の先生のポカーンとした顔は・・・。人生最大のリベンジでした。
「プロレスに対して謝って下さい」と言ったらシブったので「じゃあ、せめてプロレスなんか見ていたらバカになるというのは訂正して下さい」と言って、ホームルームで訂正していただきました。
同窓会でお会いすると先生は「今でもプロレス見ているの? あの衝撃は忘れない。自分も若かったから厳しい指導をしてしまって申し訳なかった」という意味の事をおっしゃいます。「厳しいとは違うでしょ」と思いますが。
その一件以来、マンモス校で9クラスもあった都立高校でしたが他のクラスの生徒からも「プロレスの人」と言われ、今でも私は「プロレスの人」らしいです。レスラーでもないのに、プロレスの人って・・・。
さて、今日は谷津嘉章さんです。モスクワオリンピックが政治的な理由でボイコットとなり、本当に悔しかったそうです。「幻の金メダル」と言われました。その谷津さんが糖尿病で足を切断したのが昨年の6月。翌月、高崎の病院にお見舞いに行った時、「ない足が痛む」と聞いて泣けて来ました。苦しそうにリハビリする姿には胸が苦しくなりました。
聖火ランナーになりたい、それを目標にリハビリ頑張りたいというお話を聞いて、微力ながらそのお手伝いをさせていただこうと思いました。予想以上に煩雑な事も多く、途中で投げ出したいと思ってしまった事も何度かありましたが、その度に自分の足を見て「私には自分の足が2本ある。でも谷津さんには・・・」と思い、できる限りの事をしたつもりです。
丁度、身内の問題と重なって私のキャパシティを超え、スーパーで流れていた「ウルトラソウル」を聞いて泣きそうになった事もあります。
12月に聖火ランナーが決定した時には、正直ホッとしました。これでダメだったらどうしよう。ガッカリさせてしまうのではないかと、心配で眠れない夜を過ごしていたので、本当に嬉しかったです。
応募総数535,717人。各都道府県で決められるのは1日22人×実際の走行日数は114日なので2,508人。そのうち公募が半分なので1,254人。
谷津さんは民間のスポンサー枠ではなく、栃木県に選ばれたので、計算したら確率0.23%で、倍率は何と427倍の狭き門でした。
「モスクワから40年。悲しい、悔しい思いをずっと引きずって来たけど、やっと解放された気分です。ありがとう」と谷津さんがおっしゃった時には、私も報われた気がしました。大学合格以来、人生2度目のガッツポーズをしました。
ところが、何と東京オリンピックが延期! 聖火ランナーも延期となりました。こんな事になるとは思いもよらなかったです。人生「登り坂、下り坂、まさか」があると言いますが「まさか」は大体、悪い事です。
報道が先で正式な通知が後になったのも、混乱していたからとは言え、何とも切なかったです。私はあまり物事には動じない方ですが、ニュース速報で見た時には「ウソでしょ!?」と声を上げ、しばらく動けませんでした。
走行距離は200mですが、谷津さんにとっては40年の月日を走るハズだったのに。聖火ランナーは谷津さんにとって、リベンジでした。区切りをつけるための、そして前に進むための。
それが延期になり、さぞガッカリされた事でしょう。来年はオリンピックが無事に開催され、聖火ランナーも今回のメンバーで走れる事を心より祈っております。
DDT6・7さいたまスーパーアリーナでのプロレス復帰戦も見合せになってしまいました。2つ重なったので本当に心配でしたが、谷津さんは「お気遣いありがとうございます。自分なんかより、もっと苦難の方は大勢いるのですから気を取り直して、体力維持に努めたいと思います。頑張ります」と前向きだったので救われました。こんな状況にあるにも関わらず、他者を気遣い、楽しみが先に延びただけと思えるのは素晴らしいです。
練習風景の動画を拝見しましたが、義足であれだけ動けるのは凄いです。やっぱりオリンピックに出るような人はアスリートなんだと思いました。
川村義肢という大阪の会社が開発した、プロレス用の義足を使用。私も持たせていただきましたが、驚くほど軽く、動きもスムーズでビックリしました。川村慶社長は、高木三四郎さんの高校時代の同級生との事で、ずいぶんサポートなさったようです。
実は私も4年前に怪我をした時、川村義肢のギプスを半年以上、装着していた事があります。また、父が昔、厚生省の委託で障がいのある方や傷痍軍人等の相談員をしていたのですが、その際、川村義肢を勧めていた事も思い出しました。
何だか不思議なご縁だと感慨深かったです。
人生、リベンジは必要だと思います。「やられたらやり返す」 良い事も、悪い事も。
良い事をされたら良い事を返します。また、その逆も。 人でも、事柄も、全てです。うまく行かなかった事は、態勢を立て直して形を変えてでも、またリベンジすればいいんです。
谷津さんも未来に向けて頑張ってほしいです。プラス思考に考えれば、今よりもっとスムーズに走れるように、そして闘えるようになると思います。
私も気が抜けてしまったところがありますが、ベランダから五月晴れの空を見上げたら、まだお返ししていない方々の顔が浮かんで来ました。
また、道路を見ればハナミズキが見えます。東京都で一番多い街路樹はハナミズキ。花言葉は「返礼」です。現世のうちに借りは返したいです。まだまだやる事はたくさんあるのだと自分で自分に喝を入れ直しました。
谷津さん、これからも頑張って!足は失ってしまったけれど、得たものもあるハズです。これからの人生に反映される事を、そして幸多かれと心より願っております。私も頑張ります。