グレート小鹿が電流爆破のリングに上がることを公約!大仁田厚「組むんじゃなくて、闘いたい」



日本最高齢プロレスラーのグレート小鹿(78)=大日本プロレス会長=がファンの前で電流爆破のリングに上がることを公約し、大仁田厚(62)は、その際に“対戦”を希望した。

全日本プロレスでの先輩後輩の間柄で、昨年8月から大日本の小鹿プロデュース興行でタッグを結成し、“令和極道コンビ”として暴れ回っている小鹿と大仁田が、23日、東京・豊島区のプロレスショップ「闘道館」で「今だから話せる! 全日本プロレス G馬場・J鶴田」と題したトークライブを開催した。

同イベントは、大仁田が小鹿に質問する形で進行。二人は、故ジャイアント馬場さん、故ジャンボ鶴田さんのみならず、力道山の秘話や、アントニオ猪木氏らの思い出話を展開。小鹿はサムソン・クツワダ氏が鶴田さんを誘って、新団体をつくる構想があったと仰天の証言。「その情報を馬場さんがキャッチして、クツワダは全日本をクビになった」(小鹿)と話した。

さらに、小鹿は「馬場さんは賢いから、いいとこは日本スタイルで、マイナスになると思ったら、アメリカスタイルだった。猪木さんは日本スタイル。でも、馬場さんは豪華な外国人を高いファイトマネーでたくさん呼んで、お客を入れてたけど、猪木さんは安い外国人で入れてた。ビジネスとしたら、猪木さんの方がよかったかもしれない」と発言。

小鹿は米国遠征でミル・マスカラスを破って、NWAアメリカス・ヘビー級王座を、テリー・ファンクを下して、NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を獲得するなど、超売れっ子レスラーとなったが、大仁田は当時の小鹿のファイトマネーに興味しんしん。

小鹿は「1ドル360円の時代に、週700~800ドルくらい。多いときは週1500ドルくらいだったから、50万円くらいになった」と吐露。ところが、「米国から日本プロレスに帰ったら、1試合3万円。米国でカン・フー・リーをやって、全日本に帰っても3万円。全日本では10何年やっても、上がらなくて、やめるまで3万円だった。日プロは年210試合あったけど、全日本は多くて150試合、普通は120~130試合だったから、いい待遇ではなかった」と告白。

また、話が電流爆破のことに及ぶと、小鹿は「1回はやってみたい。やり残したことは経験して去りたい」と最高齢での出陣を公約。これに対して、大仁田は「だったら組むんじゃなくて、闘いたい。1回、先輩をぶん殴ってみたい」と爆破での対戦を望んだ。

最後に、大仁田は「ボクは大日本が好きですね。バスやトラックが壊れても生き抜くんだから。各選手、大日本愛にあふれてる。ほかから誘われても行かない。また上がりたい」と言えば、小鹿は「コロナでボクの地方のプロデュース興行が今できないけど、コロナがなくなったら倍返ししますよ」と終息後の興行再開を誓っていた。

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