【佐藤光留20周年大会】大仁田厚が“聖地”川崎球場跡地に凱旋し、故青木篤志さんと光留に捧げる電流爆破デスマッチを決行!

大仁田厚がかつての“聖地”だった川崎球場の跡地(富士通スタジアム川崎)に18年ぶりに凱旋し、1周忌を迎えた故青木篤志さん(元全日本プロレス)と20周年の佐藤光留(パンクラスMISSION)に捧げる電流爆破デスマッチを決行した。


FMWを創設した大仁田は91年9月23日に川崎球場に初進出し、ターザン後藤と電流爆破デスマッチで対戦。その後、FMWは同所でビッグマッチを行うことが慣例となって、“聖地”と呼ばれるようになり、大仁田は天龍源一郎、故ハヤブサさん、金村キンタローと電流爆破デスマッチを敢行した。FMW倒産後の02年5月5日には、故冬木弘道さんが興したWEWの旗揚げ戦で同所での試合(大仁田、ザ・グレート・サスケVS故橋本真也さん、大谷晋二郎)に出場した。


あれから18年余の月日を経て、同所は改修されて、富士通スタジアム川崎に変遷。大仁田は17年10月の7度目の引退の際には、ラストマッチの候補地にもなった経緯がある。その富士通スタジアム川崎で29日、佐藤が「20周年記念大会~変態と呼ばれて」を開催。佐藤が大仁田にラブコールを送って参戦が実現した。大仁田は昨年6月3日にバイク事故で急逝した故青木さんの1周忌への追悼、佐藤の20周年を祝う意を込めて、出場を決めた。

試合前、大仁田は「17年に全日本プロレスで初めて、電流爆破のリングに上がってくれたのが青木選手と佐藤選手。その行動に感謝の気持ちを込めて、参戦することを決めました」と話した。セミファイナルに組まれた大仁田の試合(大仁田、リッキー・フジ、佐野直組VSヨシタツ、鈴木秀樹、ロッキー川村組)は当初、ストリートファイトマッチの予定だったが、大仁田の強い要望を、ヨシタツ組が承諾したため、急きょ電流爆破バット6人タッグデスマッチに変更された。

リッキー、佐野を従えて、先に入場した大仁田はリング上に花を手向け、故青木さんに黙祷を捧げ、追悼の意を表した。通常より5倍の火薬量が使用されたが、まずは爆破バットで鈴木がリッキーを一撃。2発目はヨシタツが大仁田を襲った。

あまりの破壊力にしばし悶絶した大仁田だが、蘇生すると、ヨシタツに赤い毒霧を噴射。川村にリッキーがカミカゼを見舞うと、大仁田が爆破バットをフルスイング。半失神状態の川村をカバーして、3カウントが入った(9分24秒、体固め)。

試合後、大仁田は「佐藤選手の20周年と、青木選手へのはなむけができたことを感謝します。オレの聖地である元川崎球場。その跡地で試合できたことを感謝します。オレの故郷の長崎では、亡くなった人に対して、翌年花火を上げるんです。(青木選手に)花火を上げられて良かった。最初にスタジアムで爆破をやったのが川崎球場ですから。ここに5万人集めたんだなって。今日は佐藤選手、青木選手を応援するする人たちが集まったと思います。2人に心から感謝します」と話した。

同日は新日本プロレスの21年ぶりの神宮球場大会とバッティングしたが、「気にしてないと言ったらウソになるけど、あっちはあっち。こっちはこっち。でも、『ファ○ク、ユー!』と、いつも思ってる。そうでなきゃインディーの選手は生き残れない。ハートで負けるかって。『コンチクショー』と思ってなければ、インディーは潰れますよ」とコメントし、メジャー団体への意地を垣間見せていた。


また、富士通スタジアム川崎の支配人・田中育郎氏は「我々にとって、念願がかなって感無量です。川崎球場には野球の歴史もあれば、90年代の大仁田さんの歴史もあるんです。その大仁田さんがここで試合をしてくれて、歴史に1本筋が通ったと思います」と語った。

なお、メインイベントで諏訪魔と対戦した佐藤は、粘りに粘りながらもラストライドで敗れ(24分45秒、体固め)、20周年を自らの勝利では飾れなかった。

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