【編集長コラム】追悼チャボ・ゲレロさん
チャボ・ゲレロさんが亡くなった。
チャボさんに2007年、インタビューをした。思えば、じっくりとお話を伺ったのは、それが最後になってしまった。
あの時、待ち合わせ場所に近づいてくるチャボさんに「あれ? ジプシー・ジョーも来日してるのか?」と首をひねったことを、昨日のことのように思い出す。
ジョーさんも昨年、亡くなったが、二人は遠目から見ると、雰囲気が非常によく似ていた。
若い頃はティト・サンタナに似ていた。
チャボさん本人に話したところ、フンッ! と鼻を鳴らした。「たまに言われる」と、不機嫌そうにつぶやくと「だけど、俺の方がサンタナよりいい男だし、俺の方がジプシー・ジョーよりケンカも強いぜ!」と豪語した。
とにかく負けん気が強く、いつ何時でも臨戦態勢の人だった。
インタビュー後、通訳をしてくれた西村修も交えて新宿で食事をしたのだが、
週末の繁華街の雑踏の中、少しでも肩が触れたりすると「何だ! やるのか!?」と身構えた。
英語かスペイン語かわからなかったが、こぶしを握って、相手に突っかからんばかり。
相手は、一見して、いかにもタチの悪い、しかもグループだった。
慌てて西村が間に入って、相手に謝り、チャボさんを「まあまあ」と、なだめていた。
お店に移動するまでに、何度もファイティングポーズをとるので、ヒヤヒヤした。
まさに「荒くれ者」という言葉がピッタリ。
「カネック」はスラングで「ならず者」だが、エル・カネックではなく、チャボさんこそ「カネック」。
恐る恐る、チャボさんに伝えると「ワハハ、そうだな。うん。カネック・ゲレロに改名するか」と高笑いだった。
ケンカっぱやいのはチャボさんの一面。非常に家族を大事にする人でもあった。
「基本は家族」と強調し「子どもが何人で孫が何人」と、家族の話ばかりしていた。
「大仁田厚に何であんな事をしたのか?」と、35年前のトロフィー殴打事件について、聞くと「初来日は全日マットだったけど、新日マットにも参戦した。藤波や、木村との試合、凄かっただろ。やってる俺もゾクゾクしたよ。その感覚がずっとあった。それで全日にまた上がったら、流れが合わず、どうにもかみ合わなかった。団体でファイトスタイルが違うのは仕方ないんだが、何だか腹が立って、つい、やっちまった」とチャボさんは肩をすくめた。
インタビュー後の酒の席だったからかも知れないが、意外な話に驚いた。
また、大流血戦となった1978年の大阪での藤波戦も忘れられない。金曜8時のゴールデンタイム生放送。3本勝負だったので、1試合のみの放送だった。
猪木も出ない、生放送は大反響だった。
そして、藤波はその試合が縁で夫人と出会っている。
大仁田にしろ、藤波にしろ、チャボさんが、日本マット界に与えた影響は有形無形に大きい。
「最近のレスラーは、みんなおとなしいよ。でもレスラーなんだから『もっと闘志を持てよ』と俺は言いたいね。『いつでも闘えるんだぜ』ってところを見せろよって。おとなしくするのは引退してからだ」と、意気軒高に言い切ったチャボさんの誇らしげな顔が今でもよみがえる。
またひとつ、昭和が遠くなってしまった。
今ごろ、チャボさんは遠い空から星の窓を開けて、大好きなお酒を飲みながら
「みんな! ファイティングスピリットを忘れるなよ!」と
言っていることだろう。合掌。
