【新日本】大張高己社長インタビュー<第1弾>50周年の重みを実感、ファンへの感謝を込めてシンニチイズムを開催、今後も様々な仕掛けを展開!

④新日本プロレス50年間の歴史を振り返る企画展『“新日本プロレス50周年記念エキシビション”シンニチイズム~NJPW ism~』の開催

――次にシンニチイズムの開催という形で、私も大興奮して、当時を思い出しながら入っていくと、新日本プロレスの歴史がすごく詰まった物語を見せていただきました。この企画展はそもそも大張社長が発案されたと聞きました。

 

大張社長:今、もう1回(資料を)見直したんです。遡ること1年以上前です。去年のドーム後、パンデミックの再来が予見されて。また無観客とか興行停止、つまりは人的リソースの活用先に困る時代が来るんじゃないかと思ったのが去年のドームだったんですね。まさにこの会議室で幹部会をやったんですけど。去年の1月〜2月くらいの時に、今こそ50周年、1年後に来る50周年の施策の準備に社員のリソースをあてがうべきだと言って、50周年何をやろうか決めようと話したんです。それで各部署から100件以上、案が出てきたんです。

 

――アイデア出しをされたんですね。

 

大張社長:イベント軸、記念アイテム軸、映像軸、コラボ軸、ファン参加型軸に分けて。確かにこの中には2〜3つ記念展というキーワードがあった。経営企画部長として、いまだに兼務してるんですけど。これで出したのが50周年展で。他も興行部からも旧闘魂ショップを博物館にしようという社員とか。そんなに入りきらないなと思って。

 

――確かにちょっと難しいですもんね。

 

大張社長:そこに端を発しているから、私も最初のゼロイチの部分の発案者の一人ではあるけど、私唯一ではない。そこから悶々と3ヶ月ぐらい過ごしたんです。とりあえず何が手に入るか。何が集められるか。物として。人脈をたどって、物をたどって、リスト化してくれというのをそこでオーダーしておいたんです。どんな形がいいかなとなると誰も答えがなくて。むしろ、皆ポカンとしていたかもしれない。あたりまえだけど50周年展なんて、誰もやったことがない。そういうのは私は大好物なんです。たまたまその時、ゴジラとのコラボをやってたんです。大ゴジラ特撮王国というのをGallery AaMo(ギャラリーアーモ)でやるというので。後楽園(ホール)で菅林会長からチケット2枚もらったんです。その週末、最終日かな。息子と行ったんです。小学校5年生になりたての息子と行って、そこで掴んだんですよね、これだなという。場所はもう絶対にギャラリーアーモだと。

 

――同じ場所でやるんだと。

 

大張社長:決めたんです。入り口に猪木さんだと。大ゴジラ特撮王国調べてみてください。入口に初代ゴジラでした。

 

――見てみます。

 

大張社長:ゴジラって、映画があり、映画に憧れて見て馴染んだ人がいて。台本があり、特撮用のグッズで実物のオキシジェン・デストロイヤーというのがあるんですよ。知ってます?

 

――いや、オキシジェン・デストロイヤーは知らないですね。

 

大張社長:最初のゴジラ、1話かな。博士がオキシジェン・デストロイヤーとともに水中に沈んでゴジラを仕留めるんですよ。猪木さんで言うと延髄斬りですよ。タイガー・ジェット・シンで言うと、サーベルがあるわけです。それがババババッとマッチしていて、自分の中で。これって旗揚げだろうと、猪木さんから始まって。シンのサーベルだろうと。この試合は映像がある。ベルトだろう、マスクだろう。このようにダーッと置き換えが進んで、比べてみたら、やり方次第では50年で何千大会、何万試合のドラマが蓄積された新日本なら、体験なども含めれば、同等かそれ以上にイケるのではないかと。


※ベルトの展示

 

――ご自身の中でピカーンと来たんですね。

 

大張社長:そう、ピカーンと来たんです。それでそれは単純に自己満足じゃなくて。最後にどうしてこれをやろうと決めたかと言うと、連れて行った息子がゴジラなんて聞いたことはあるけど、映像を見たこともないのに、ゴジラの大ファンになったんですよ。家に帰って、Amazonプライムビデオでゴジラをあさるようになった。そこにオキシジェン・デストロイヤーも出てきて。それで映画を見に行ったんです、新作を。これだと。私がやりたいことって、これだというので、イメージを決めて、50周年記念展という企画書を作ったんです。

 

――すばらしい。

 

大張社長:これならイケると。

 

――東京のアイデアはそこでバーンと来たんですね。お子さんが見たこともないゴジラに、そのイベントの中で見て触れて感じたからこそ、あらためて見たくなるという深層心理がまさにあったということなんですね。

 

大張社長:われわれにとっては懐かしい。今しか知らない人にとっては新しいんですよね。過去のものって新しいんですね。だから、樹木みたいなものですよ。地中深くから続いて、地上から見ていたつもりが、根っこから見ると、この樹木のすごさがわかるわけじゃないですか。根の部分、新日本プロレスにいかに蓄積された歴史があって、現在から未来につながっていくのかに気付いてくださる。そういう意味では、今のファンも昔からのファンも男性も女性も年配の方もお子さんも、皆が楽しめるというのができるぞとわかったんですよね。綺麗事で「温故知新」と言ったりしたこともありましたけど。これだよなという。展示物とセットで。あと体験ブース、入場も憧れですよね。


※リングを設置

 

――あれも本当にすごい刺激的だなと思いましたね。ファンにとってはああいう体験というのは今まで無かった。本当に皆さん選手になりきっていましたね。私が見たときは来場者がエル・デスペラード選手になってました(笑)

 

大張社長:あれはスタッフこそ違うけど、本番仕様の音響設備を使っていて、あれが体験できるというのは、本当に本番体験だよと。


※入場体験

 

――新日本プロレスの歴史をイベント内では随所に感じられました。歴代のポスターや、いろんなグッズもあり、古いベルトもあり、マスクの展示だとか坂井(永年)先生のイラスト展示だとか含めて、あの時のあの試合の歴史を感じさせてくれるなという風にゾクゾクしました。本当にプロレスがずっと好きだったんで。特に一時、新日本プロレスと創始者であるアントニオ猪木さんがちょっと離れていった時期が、この50周年を迎えて、なおかつシンニチイズムを踏まえて、新日本プロレスをあらためてリスペクトしている姿を、ファンの皆さんに見せるという部分がすごく嬉しかったですね。

 

大張社長:なぜというのが詰まっていましたね。なぜ猪木さんをリスペクトしているのか。40代くらいの人たちって「アントニオ猪木、アントニオ猪木」って何で言うのか。あの展示会を見てもらえばわかるじゃないですか。本当の零細企業、何名かで始めて。リングスタッフもいるかいないかのところから、一から興行を起こしてきて、どんどん立派にして。ベルトもこさえて、いろんな選手を生み出して、外国人との激闘があって。だから今、皆、アントニオ猪木って皆、言うんだ。何で猪木さんがあそこで登場するんだろう、ドームで。こういう歴史があるからだ。わかってもらえるじゃないですか。だからおっしゃるとおりで、リスペクトを表す意味もそうだし、リスペクトの理由。逆に新日本プロレスが、私もファンだった時もそうだけど、世界中のファンやそれこそ名だたるレスラー達が、新日本プロレスをリスペクトする理由を詰め込んだんです。

⇒次ページ(ファンの声を形に!#シンニチイズム全国展開を目指すクラウドファンディング開催)

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