【ジャングル叫女インタビュー】<前編>「まだまだ試合ができると思っていた」無期限休業発表の苦悩を赤裸々告白

▼原因不明の痛みとの闘い

ー-原因がわからなかったと。

「この先、痛み止めの注射を打つことしかできないです」と言われたので、「それでもいいので打ってください」と痛みを紛らわせていましたが、根本的な痛みは取れずでした。そういう状態で、これだけ長い間試合もしないでいると、モチベーションがなくなってしまって。もちろん1月に決まっていたアメリカの大会も間に合いませんし、どんどん何も決まらないまま、もやもやとした状態が続いていました。仕事もやっていたんですけど、そっちにも集中できなくなったり。「自分は今なんのために生きているんだろう」くらいの問いかけをずっとしていました。

その時は「目標を作ろう」となると復帰しかなかったので、1度なくなってしまったアメリカでの復帰戦をもう1度秋くらいに設定して、それに向けて頑張ろうと思ったんです。痛みに不安はありながらも、半月板の手術はうまくいっているというのが先生の意見だったので、半年経過後くらいから、とんでしまった試合などにもう一度オファーをかけなおしました。

その辺からアメリカでの試合が決まり始めて、決まった以上はそこにむけて頑張っていくしかないと思ったので、トレーナーさんやリハビリの先生など皆さんに「試合が決まって、これに向けて頑張っていきたいと思うので、身体を仕上げてください」「じゃあそれに向けて頑張りましょう」というかんじで進めていました。チベーションが上がったことによって、膝の違和感や痛みはなんとなく薄れていった気がしていました。

--アドレナリンが徐々に出てきたというか。

回復につながったのかもしれません。膝の筋力がなくても、他の筋力でカバーできる自信もあったというか。プロレスをやる前に13年、陸上競技をやっていたバックボーンもあるし、今まで5年、プロレスをしっかりやってきたっていうのもあるから、「他のところを鍛えてカバーできる」という自信をもって復帰戦に向けてやっていきました。

そのなかで9月10日にアメリカの復帰が決まったんですけど、9月3日くらいに最後の診察で病院に行って、リハビリの先生に膝を診てもらいました。最終のリハビリで力が入るか確認したんですが、その時に「パキッ」って音がして、膝が外れたというか、ズレた感覚がありました。実は手術する前からあった※ロッキングという状態になってしまって、傷ついている半月板がめくれあがって、骨と骨の間にひっかかって動かなくなるというものです。

※膝関節のロッキングとは、突然膝がロックされたように動かせなくなる状態を指し、加えて激しい痛みを伴うので、歩くことも困難になる

もちろんちょっとでも動かすと大激痛です。医学的には絶対に良くないんですけど、ロッキングは何回か経験していたので、自分で外す方法を知っていまして、膝をピッと伸ばしてめくれあがっている半月板を無理やり元に戻したんです。「治りました、大丈夫です」と言ったら、先生が「でもいまロッキングしましたよね?ロッキングしないようにするために半月板縫合手術をしたのに、今ロッキングしたというのは、今回も手術がうまくいっていなかったということですよね」と。

主治医に診せたら「2回目の手術もちょっとうまくいかなかったですね。」と言われました。復帰の1週間前ですよ。次の次の日くらいにはアメリカに飛び立つ予定で。航空券だって取ってるし、向こうでの試合も、復帰戦から10数試合決まっていたんです。「今さら無理やん。」となりました。

ただ、とりあえず放心状態のままコスチュームとシューズをもってアメリカに渡ったんです。向こうに渡って少し動かしたら、ロッキングが簡単になる状態ではなかったので「試合ができるんじゃないか」と思って1試合やりました。結局、試合はできて、「リング上ってやっぱりすごいな」と。いままで感じていた膝の違和感、痛みもそもそも感じないし、膝もしっかりテーピングをして出ているので症状もなく、無事に1試合を終えることができたので「これならいける」と思いました。

膝の周りをできる限り強化したり、周りの筋力でカバーするためのトレーニングを積みながら、残りの15試合くらいをなんとかこなすことができたんですけど、やっぱりだんだんロッキングするようになってしまって。日常生活でもロッキング。寝返りうったらロッキング。

▼日常生活でロッキング発症

--日常生活でもロッキングが不意になってしまうんですか。

不意になるんです。力が抜けていると膝と膝の間に空間ができるんです。その時にめくれてしまって、ロッキングしてしまうことがあります。どんどん増えてきてしまって、これ以上はわたしも試合をするのが危ないと思ったし、相手にもケガを負わせてしまうかもしれないということで、現地のドクターと確認して「これ以上は、再手術をしないと難しいんじゃないか」と言われたので、それ以降の試合は入れずに帰国しました。

帰国後は1か月くらい安静にしながら、筋力が落ちて悪くならない程度にトレーニングをして、という状態でした。ただ、実は日本でも試合が決まっていたんですよ。それが日本での復帰戦になったノアの横浜アリーナと『NOMADS』大会でした。

NOMADS』さんはアメリカに渡る前の8月、リング上に呼ばれて「次は参戦する」と言ってましたし、ノアさんは日本での復帰場所として本当に大きい舞台を用意してくださったので、この2つは必ず、いま出せるベストコンディションで臨んでいかなきゃいけないということをドクターにも伝えて、許可をもらいました。

--何回も手術をして、よく心が挫けませんでしたね

膝の違和感を残しながらも復帰を焦ってしまったのは、いま思えば良くないことかもしれません。それでも、アメリカに渡って何試合もして、すごく良かったと思えています。ちょっと無理をしちゃったけど、あのモチベーションがなかったら、プロレスとかじゃなくて、生きるモチベーションすらもなくなっていたかなと思います。

あの時は無理をしてでもリングに向かうことが、わたしの生きるモチベーションだったし、生きるためにプロレスの世界に戻りたいと思っていましたね。勤め先の社長もアメリカに送り出してくれたし、あの時試合をやってなかったら、いまの自分はいないかなと思います。

--海外での活動があったから今のモチベーションが保てているし、手術にも立ち向かえているということですね。

本当にそう思います。 

 

⇒次ページ(日本復帰戦のプロレスリング・ノア横浜アリーナ大会について)

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