【ジャングル叫女インタビュー】<後編>「叫女は本来、太陽みたいにみんなを明るく照らす存在でしょ」尊敬するKAIRIからの言葉で見えた光

▼同郷で同じ小学校だということが発覚した水波綾


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--そして、私が一番驚いた、なんと同郷で同じ小学校だということが発覚した水波さん(笑)

やっぱり初めて言ったんですかね(笑)

--僕は初めて聞きましたよ。びっくり(笑)。しかもご本人たちも知らずに話していたんですよね。

そうです、そうです。もちろんお名前は知っていましたが、とある女子レスラーの引退パーティで初めてお会いさせていただいて、話している中で

--「同じ出身だよね」みたいな

「どこなの?」みたいな話から「○○区で」「えっ」「えっ」「なに小学校だった?」「○○小学校」「ええっ、一緒じゃん」みたいな。家ももちろん同じ学区内なので近くて。「あのマック知ってます?」みたいな(笑)

--ビックリしますよね。まさか近所に同じ職業の人が…

いや、すごいなと思って。むしろその小学校は称えるべき(笑)

--しかも同じ時代にプロレスラーがいるっていうのがね

何歳差なんですかね。たぶん同じ時期に、同じ小学校に通っていたと思います。それからすっごく水波選手に興味がわいたというか、目が離せなくなってしまった自分がいて、試合も見させていただきました。力強くてパワー系で「うわー、いい試合する人だな」と。
※水波34歳、叫女31歳(記事掲載時点)

--エネルギッシュですよね。

水波選手も海外志向というか、海外人気もある方ですし、今回名前を上げさせていただきました。

--これまた同じように情熱を感じる系統の人で、相性がめちゃくちゃ良さそうです。組んでもいいと思いますよ。

確かにそうですね。

▼新人時代に自分自身をプロレスラーにしてくれた松本浩代


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--最後の1人、松本選手については「新人時代に自分自身をプロレスラーにしてくれた」と会見でおっしゃっていました。いま振り返って、浩代選手のことをどう思いますか。

最近はリング上で疎遠になってしまって、もしかしたら知らない方もいるかもしれませんが、わたしが新人時代は毎大会のようにタッグを組んでいました。わたしはその時“ジャングル”の名前からゴリラキャラでやっていたんですけど、浩代選手は当時からゴジラのキャラでやられていました。ゴジラとゴリラでマスクを被って入場したりして。

新人時代にずっとタッグを組んでいたので。わたしが勝手に浩代さんに寄せてしまったんですよね。「ジャングルってる」っていう言葉を生み出してくださったのも浩代さんです。

--浩代さんが言いはじめたんですね。

はじめて2人でチャンピオンになった時に「ジャングル叫女、すごいジャングルってるよ!」って言ってくれました。「もっとジャングルっていこうよ!」っていうところから「チームジャングルってる」ができて、そこに米山(香織)選手が入って、3人でアーティスト(アーティスト・オブ・スターダム)のベルトを巻いたりもしてるんですけど。そこから派生して「JAN」っていう自分のユニットができるところまでいきました。チームジャングルってるの時代までは、大体デビューしてから2年半とかですかね。

--もともと基礎体力と破格の身体ができていたので、すごいスピードでスター街道を突き進んでいたなと思います。

その2年半の間、最後は組むことが多いんですけど、最初は戦うこともすごく多くて、大きな壁でした。デビューして3か月くらいの頃にシングルマッチをさせていただいたんですけど、試合が終わった後、悔しくて浩代さんのことをはり手したんですよ(笑)

--いいですね(笑)

そしたら、私は試合後のダメージもあって「ペチン」くらいだったと思うんですけど、浩代さんはヘロヘロのわたしに「バチーーン!」って。何十倍のビンタをされて、痛すぎて泣いたんですよ!でもその痛みにはものすごく愛も感じたし、その涙も悔しさだけじゃなく嬉しい気持ちがありました。というのも、わたしの新人時代は若手かスリーダムの紫雷イオ(IYO SKY)選手、岩谷麻優選手、宝城カイリ(KAIRI)選手か、だったんですよ。この差ってやっぱりすごくて!

--あの3人娘時代はやっぱりすごかったですね。

いやもうすごくて。その下がわたしたちの代になるんですけど。この差は絶対に埋まらないし、見上げるくらい雲の上の存在の方々でした。なんというか、試合してても親近感がなかったんですよ。

そのなかで、タッグを組んだり試合をして、浩代さんはその間に入ってくれていたというか。「わたしが壁になるからぶっ壊してみろよ」みたいなかんじで立ちはだかってくれたのがすごい嬉しくて。ここまで気持ちで向き合ってくれたのが初めてな気がしてしまったんですね。

それがまだデビューして3か月くらいだったので「わたしは浩代さんについていきます!」みたいな感じになっちゃった時がありました。それでも浩代さんは「リングっていうのは弱肉強食なんだよ。わたしは隣にいてもあなたを敵と思う」みたいな(笑)。そういう人でした。

--考え方から含めて、プロレスラー魂を学んだんですね。

そうなんですよ。ちょっとでも気持ちが入っていない試合をしたら「今日の試合なんだったの?」って。

--けっこう言われるんですか。

厳しかったですよ。「今日の試合のテーマはなに?」って言われて、「今日の試合のテーマですか…、なんだろう…。もしかしたらがむしゃらに戦ってただけかもしれません」「そんなんじゃダメだよ」って。「ちゃんと試合にはテーマをもって戦わなきゃ意味がない。1試合1試合ムダにするんじゃないよ」「はい!」みたいな(笑)

--いやー、さすが(笑)

新人時代にそこまで熱く、近くで自分をプロレスラーにしてくれた存在だったので、それこそ紫雷イオ選手、岩谷麻優選手、宝城カイリ選手の先輩方も「浩代さんがいるからジャングルはもういいよね」みたいな(笑)

--任せられていたと(笑)

思ってなかったかもしれませんけど(笑)。それくらい、浩代さんには1からプロレスというものを教わりました。もちろん一緒に練習もしましたし、教えてくださったり。今回、初めて試合をしたい選手を上げさせていただくつもりだったんですけど、浩代選手はやっぱり特別な思いがありすぎて、フリーの選手ということなので、名前を上げさせていただきました。

--松本選手はいまだにプロレス界の頂点くらいの位置に君臨している人ですから、強くて説得力がありますね。いまだに各団体で引っ張りだこという、フリーの先駆者とも言えます。

はい。フリーになってからは初めてリング上で会うことになるので、どんな気持ちを入れてくれるかなと楽しみです。

--組んでもいいし、戦ってもいいと。

隣にいてくれたら、それはそれでメチャクチャ心強いですからね!でも最後はいつも「お前が行け!」と背中を押してくれる人でした。

--そうなんですね。

「私じゃないよ、ここは。あなたのリングなんだから」っていうかんじで、最後は絶対バトンタッチをもらっていました。タッグのベルトは、美闘陽子選手と宝城カイリ選手、から奪取することができたんですけど、その時も最後はバトンをもらいました。「私が仕留める」っていう気持ちでカイリさんに向かって行ったのを覚えてます。

--絆を感じますね。すごくいい話を聞かせていただきました。


※本人提供(3月5日ZERO1後楽園大会に松本が応援に駆けつける)

 

⇒次ページ(クラウドファンディングの発表、ファンの皆さんへのメッセージ)

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