【大日本】岡林裕二が7月以降の無期限休業を発表「プロレスは40歳まで…いろいろ考えることもありました」

大日本プロレスは6月7日、横浜にある道場にて記者会見を行い、岡林裕二が7月から無期限の休業に入ることを発表した。

会見ではまず、登坂社長より「この度、7月以降の岡林裕二選手につきまして皆様にご報告があってお集まりいただきました。経緯を申しますと、一昨年、岡林選手の方から、引退を前提としたレスラー生活というのを期間も含めまして提案をされた次第であります。コロナ禍ということもありまして、本人も大日本プロレスの現状やそういったものを鑑みて、引退の時期というのを推し量っていたところではございますけれども。昨年1年間もチャンピオンとして、大日本プロレスをまたリング上を大きく引っ張っていただいた状況ではあります。今回、5月4日の横浜武道館で、青木優也選手に敗れ、タイトルを失ったということもありまして、本人と話をして、7月以降に無期限の休業という形で、スケジュールを組まさせていただければと思います。

まずは、7月以降に岡林選手の出場を楽しみにしてたお客様には、この場を借りてお詫び申し上げます。本人の方から少しお話があるかと思いますが、僕個人また会社といたしましても、この期間に引退を前提として相談があった一昨年から身体、そういった部分を含めてのメンテナンス。さらにはセカンドキャリアに向けての様々な考え方や活動というものに当てていただければなというふうに思ってますので、具体的に7月以降何をしてもらいたいとか、何をしなければならないというのは全く本人も含めて会社としては決めておらず、まずはこの激しい数年間を戦い抜いてくれた岡林選手に、大きな大きな休養が与えられたらなというふうに考えている次第であります」と経緯が説明された。

続けて岡林が「この度7月から休業という形で、お休みを取ることになりました。先ほど社長からお話があったんですけれど。一昨年からいろいろとちょっと考えてまして。自分がデビュー当時、プロレスは40歳までっていうふうに決めていたっていうのもあるんですけれども。今、その年が来て、ちょっといろいろと先のことも考えながら、休みの期間は先のこと、身体のメンテナンスも考えてお休みをいただけれたらなと思います」

ここから質疑応答

ーー引退を決意したというか、考えてきた期間っていうのはどういう気持ちで今まで戦ってきたっていう感じでしょうか?

岡林「リング上での戦いは、そういう気持ちは一切なくてですね。普段は何かいろいろ、40にそうそうなるなってなって。デビュー当時に40までっていうのを考えて、そういうのは頭によぎって。でもリング上での戦いは、もうそういうのを忘れさせてくれる。戦いがなんか忘れさせてくれて、やっぱり仲間とか、大日本プロレスのみんなと一緒に過ごしてる時間は本当に、そういうのを忘れさせてくれるような、特に戦いリング上の戦いは、本当に気持ちがいい戦いができたと。だから何かこう、そういう思いは一切なかったですね。でも、一歩リングから降りるとやっぱりそういう何か思いが頭をよぎって。ああそうか、40でって言ってたなっていうふうにね、思ってたんですけど。これからやっぱ先のこと考えないといけないっていうのもあるし、身体が今の自分のファイトスタイルを続けれるのかとか。お客様が満足できるような試合ができるのかとか、そういうことやっぱり、リングを降りたらなんか、いろいろ考えることもありましたねいろいろ、はい」

ーー無期限休業という形なんですけども、戻ってくる可能性というか、そういったことに関してはどのように考えていますか。会社としても個人としても

登坂「会社として、僕個人としては、毎月一回会おうかという話をしてるので、そのときそのときで、彼の心境とか体調とかを鑑みながら、より良い方向に進めればなというふうに思ってまして。なんていうのかな。団体としては、単純にお客様が僕は多分、岡林選手のこと、大日本プロレスのことを見てくれてるお客様は、一刻も早くリングに戻ってきてほしいだろうし、これからも末永く岡林選手を見ていきたいというふうに考えてるとは思うんですけれども。団体が今後も反映していく中では、こういった問題には今後ぶつかっていくだろうと思っています。それで、中心である岡林選手がここに挑むということに関しては、会社もバックアップしなければいけないなと思ったので、期日とかそういったものを設けずに、やや模索しながら、2人で、もしくは会社と本人で二人三脚で模索しながら、今後、未来を見つけていけたらなというふうには思っています」

岡林「社長とかといろいろ話して。あと家族と話して、いろいろ社長も言いましたけど。この休業期間中に考えようかなというふうに思っております」

登坂「7月…こういう性格ですから、6月30日までは何も変わらず過ごさせてもらって、7月1日からは一旦空っぽにして考えるっていうことかなと思うんで、今日暑い中お集まりいただいて大変申し訳ないんですけども、その先はもう少し後にお伝えできたらなというふうには思っています。ちょっと補足になるんですけれども、一昨年にそういう話を聞いて、ああそうかっていうふうに思っていて。もちろん個人としては会社の利益とか云々別にして、そこを追求したらこういうスタイルで団体やってないので。

仲間としてはずっとそばにいてほしいなと思いながら見てました。昨年5月5日の横浜武道館、初めての横浜武道館で関本選手とやって、やっぱり僕もまだまだそのリングの中の人間ではないので、純粋に勝利を勝ち得た岡林選手が充実してるように見えたんですけれども。その後、リングを降りて、その悔しさを十二分に出して、その関本選手の強さというのを彼自身が感じて、多分僕は彼の言葉ではないですか僕はそこでは、岡林選手はまだ得られてないものがある、到達できてないものがあるということで、その自分の心の中の引退をほごにしたんじゃないかなというふうに僕はその5月5日の後に岡林選手と話して、その関本選手に対しての悔しさを語ってたときはそう思いました。

もう一つは10月の札幌で(橋本)大地選手とやって、こちらも勝利を収めたんですけども、その後怪我で欠場。その日も翌日ですかね、もうほぼ1日岡林選手と2人きりでいたんですけれども。本当に悔しいと、あのリング上でマイク取ってた岡林選手のセリフをずっと繰り返すような、『ほんま悔しい』って言って。これはやっぱり『今度は大日本プロレスをもっと俺が引っ張っていかなきゃあかんのや』という意味で、悔しいと語ってたのかなと関本選手と少し質の違う悔しさを感じてたんじゃないかなと思います。それがあって、また1年延びるような形で、今年もリング上では全く変わらない試合を不安を感じさせない試合を続けてくれて。だからといって5月4日の青木戦が手を抜いたとかそういったことではなく、迷いがあったとも思っていないので。一旦ベルトを失ったことで、ちょっと肩の荷がおりて、少し冷静にお互いが話し合えて、そういう方向性を今回見い出したといったのが、補足できればのお話です」

ーー岡林選手、肉体的な部分で言うと、休む、だけどダメージであったりとかそういったものを感じながらの日々だったんでしょうか?

岡林「いやそこまで大きい怪我とかはないんでなくてですね。細かい怪我は怪我っていうか細かいのはあるんですけど、そこまで大きい、気にするような怪我はないです。でも、ダメージの蓄積とかていうのがあるので。それも休みの期間、回復できればと思ってます」

ーー今のところ6月30日加藤選手とのシングルマッチが当面の最後の試合になると思うんですけども、残りの期間どのような気持ちで戦っていこうと思いますか。

岡林「いやどのような気持ちというか、もう一戦一戦全力で、いつもと変わらず戦っていきます。はい。リング上は変わらないです」

登坂「でもなんか、今日、皆さんにお伝えする形になったんですけど、ある程度1ヶ月前とか2ヶ月前にはこうしようって話をしてる中で、やっぱりそう、なんですかね…5月中ですか、横浜武道館終わって、そうしようかって話になったときに、その後に大阪大会とか後楽園ホールと名古屋ハシゴとかあったときに、やっぱりちょっと僕からすると岡林選手はどういうふうな気持ちで戦ってるのかなと。今は一戦一戦を戦うだけですって言ってましたけども。もしかしたら、名古屋で阿部選手が選手は知ってたので、阿部選手が岡林選手に最後敗れる前に足にしがみつくようなシーンとか…そういうのは、一戦一戦と言っても、普通とは違うのかなと(涙を見せながら)見る側がね。岡林選手は変わってないかもしれないですけど、違うのかなと思ったりもしますね」

最後に岡林からファンへのメッセージとして「2008年デビューして15年本当走り抜けきました。でもこれからですね向いて自分らしく突っ走っいきます本当ファン皆様には応援していただきまし有難うございました7月から休業いう入りますけどそれまで変わら全力戦っいきますよろしくお願いします」

”力こそパワー”を合言葉に迫力満点の試合を見せ続けてくれた岡林が今後どのような決断をくだすのか、気になるところである。

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