【今日子のプロレス今日この頃⑮】「抱きしめてあげたい」⑧カール・ゴッチ
こんにちわ!今日子です(^^)
「プロレスの神様」と言えば、カール・ゴッチさんですね。
今年は没後10年。その節目の年に、日本で建墓されると、先日、アントニオ猪木さんから発表がありました。本当に、素晴らしい事ですね。
7月24日に後楽園ホールで開催される記念試合「ISM」の興行収入を、お墓の代金に充当し、命日の7月28日に納骨というスケジュールだそうです。
実は、ゴッチさんに何度かお会いした事があります。
子どもの時には、娘婿の故・ミスター空中さんが通訳して下さって、「みんな!プロレスの神様に質問してごらん」と言うので、ちびっこファンから、いろいろな質問が出ました。
「毎日、何時間位トレーニングをするのですか?」とか、「何を食べたら強くなれますか?」とか。
私の番が来た時には、もう聞く事がなくなってしまったので、「ジャーマンスープレックスはどうやるのですか?」と。
今、考えれば、ノーフィアーな質問をしてしまったのですが、ゴッチさんは、私のおでこをペチペチと軽く叩いて、「ブリッジしたら、ここで受けるんだ。頭のてっぺんじゃない。ここだ。勇気があればできるから」と答えてくれました。
その場にいらした、今は亡き鬼軍曹・山本小鉄さんが「お! すごいな。ゴッチ直伝のジャーマンだな!」と言ってくれて、何だかとても嬉しかったです(*^_^*)
月日は流れ、ゴッチさんが亡くなる前の年にもお会いしました。
この時は幸運にも、フロリダ州タンパのご自宅に伺う事ができました。
最後の弟子の西村修さんが案内して下さったのです。
静かな住宅街にある、こじんまりしたアパート。子どもの時より、緊張しました。何たって「プロレスの神様」ですからね。
時間に正確な方だからとの事で、それまでは、家の前で待機し、時報が鳴ると同時にチャイムを押すような感じで訪問しました。
一人暮らしのお宅は、どこもここもきちんと整理整頓、清掃され、本も雑貨も食器も写真立ても、部屋中が全部ピシッとしていて、何一つ曲がったりズレたりしているものはない、という感じで本当に驚きました。
ピンと背筋を伸ばし、お話する姿はとても威厳があり「ああ、神様だ」と思いました。コシティやプッシュアップボードを見かけた時は「まだトレーニングしてらっしゃるんだ!」と思って、感激しました。
コーリャンバーベQ(焼肉)が良いとの事で、お食事もご一緒したのですが、ご高齢にも関わらず、誰よりもたくさん食べ、誰よりもたくさん飲み、負けず嫌い炸裂が随所に垣間見え、何においても負けるのはお嫌いで「リング上だけではない、普段の生活からストロングスタイルなのだ」と痛感しました。
でも意外な素顔を見ました。
愛妻を亡くし、ひとり娘のお嬢様とは疎遠で、一人暮らしだったゴッチさん。
いつ何時でも、強くなければいけないお立場の方でしたのでそうは言わないにしても、心の奥底では、本当はお淋しかったのかも知れません。
アパートの庭に住みついた野良猫に名前をつけ(ミーシャ?だったように聞こえました)ドイツ語で話しかけていました。
それも、本当に穏やかで優しい口調で語りかけ、撫でていました。
ビックリしました\(◎o◎)/!
私のあまりの驚きように、ゴッチさんが今度は英語で何か言って下さいました。
ドイツ語はおろか英語もほとんどわかりませんが「動物はいい。ウソをつかないから。正直でかわいい。だが人間はウソをつく」と、おそらくこんな意味の事をお話されていたのだと思います。
いろいろな事があったのでしょう。
頑固で、自分にも厳しく、そして他者にも厳しかったゴッチさんは、誤解もされたでしょうし、孤独だったのかも知れません。
何だか胸が痛くなって、僭越ですが「抱きしめてあげたい」と思いました。
翌年の夏、ゴッチさんはご自宅で倒れて亡くなり、西村さんが駆けつけました。
ご遺体は荼毘にふされ、お墓は建てず、木戸さんや藤波さんが同居した、昔のご自宅の裏にある湖に散骨されたそうです。
ですが、一部の遺灰はジョー・マレンコさんが大切に保管されていると聞いていました。
今回、ジョーさんがその遺灰をお持ちになって来日され、東京・南千住にある回向院に、納骨されるそうです。
回向院は、明治維新の精神的指導者である吉田松陰や橋本佐内などが眠る、歴史ある寺院。
ご住職の、第七世 寛誉佳昭上人は長年のプロレスファン。猪木ファンです。
私も、昔から何度もご一緒しました。
そのご住職のご厚情により、立派な墓地に建墓して下さるとの事。
お墓は笠をかぶった、立派な大名墓。
墓石の代金は、興行収入でまかない、7月28日の没後10年の命日に、建立される運びと相成りました。
お墓を建てるのは、並大抵の事ではありません。
猪木さん、西村さん、ご住職、そして協賛して下さった方々、そのご尽力には本当に頭が下がります。徳を積みましたね。
実はゴッチさんが亡くなった年のプロレス大賞で、特別功労賞を受賞したのですが、お嬢さんは疎遠のため、受け取る人がいなくて、西村さんが受け取りました。
晩年のゴッチさんに継続的に金銭的な援助をしていた西村さんは「いつか何かの形で、ゴッチさんの供養ができれば。賞金は、その時に使いましょう」とお話されていました。
当時はまだ漠然としていましたが、長い年月の間にいろいろ模索され、段取り、手順を踏み、関係各位に説明され、猪木さんの多大なご協力の元、それがやっと形になったものと思います。
口で言うのはたやすい事ですが、実際問題、長く、大変な道のりだったでしょう。
本当に、いろいろご苦労された事と思います。
でも、日本にお墓があれば、プロレスファンはいつでもお参りに行けます。
晩年「また日本に行きたい」とおっしゃっていたそうですが、叶わぬまま亡くなったゴッチさん。
お骨になりましたが、でも再び、日本に来られますね。
そして、みんなが墓参に来てくれれば、もう淋しくないですね。
草葉の陰で、きっと喜んでくれると思います。
私も、ゴッチさんが好きだったワインと葉巻を持ってお参りに行きます。
※「神様」を抱きしめるなんて恐れ多いので、抱きしめは、もちろん未遂です。