「棚橋さんからは”新日本プロレスの寮母さん”と言われたことがあります(笑)」坂井澄江、アメリカ遠征の選手たちをサポートするようになったきっかけは?


※「ここで私はライオネス飛鳥さんとベルトを賭けてやるはずだったんですよ」と思い入れの地で懐かしむ。

――坂井さんは本当に親身になって、アメリカへ来た選手をサポートされていると思うのですが、それはどういった思いからでしょうか。

坂井 自分がアメリカに来た時に、すごい大変だったし、言葉もしゃべれなかったんです。彼らは団体に所属してくるわけで、今までヤングライオンとして寮にいて、先輩のこととかも大変だったのはわかるし、なるべくウチに来た時は生活の面はサポートしてあげて、みんながプロレスの面に集中できて、ほかのことでも苦労していい経験になるようにしてあげたいなという思いです。

――それは素晴らしいですね。

坂井 色んな選手ともいい関係でいて、叫女ちゃんもそうだし、ラ・エストレージャ選手とか、KENToさんも、(山下)実優ちゃんもかわいいです。選手としても大好きですけど、なんでもしてあげたいと思っちゃいます。実際、自分に子どもはいないんですけど、みんな子どもみたい(笑)。子どもいたらこういうふうになるのかなみたいな感覚になりますね。なんでもできることはしてあげたいって…お金以外は(笑)。

――実優選手や叫女選手とか、女子選手ともつながりは深そうですね。

坂井 みんな本当差なんてないですけど、イオ(紫雷イオ=イヨ・スカイ)ちゃんはいろいろつながりがあって、特別、彼女もそうやって思ってくれているのが伝わってきます。彼女がつらかった時を一番近くで見ているし、みんな大好きなんですけど、イオちゃんは本当に特別な思いはありますね。去年、レッスルマニアに初めて出たときも、家族席があって、彼女の試合の時って一列目で見れるんですよ。「一番前に来て、家族席で見てほしい」って言ってくれたんですけど、いや、私、本当に見れなかったです。もう大泣きしちゃって。うれしくて、ですけど(笑)。今年も家族席をお誘いしてくれたんですけど、逆にちゃんと見たいと思ったんで、代わりにウチの旦那に一列目にいてもらって、私はスターダムの子たちと一緒に普通の席で試合を見ました。

――実際にしっかり見て、イオ選手の試合はいかがでしたか。

坂井 いやあ、良かったですね。今年はちゃんと試合見れたし、彼女は試合もやらせてもらったことがあるので言うと、世界一だと思います。あのレッスルマニアの場にチャンピオンとして立つことが必然的だったというか、彼女の実力が世界に認められたということだと思います。なんかこう言うと泣いちゃいますわ。

――それだけ、イオ選手とはかかわりが深かったんですね。

坂井 私がニュージャージーからオーランドに引っ越したんで。はじめ、オーランド引っ越すときに「えー!」と思ったんですけど、まあ、イオちゃんも近くにいるし、「まあ、いいかな」と思ってたんですけど、いろんな時にそばにいてあげられたんで引っ越してよかったなと思います。でも引っ越しは、ウチの旦那が勝手に決めたんですよ。私に相談もなくて、むっちゃ怒ったんですけど、「でもイオちゃんの近くに行けるよ―」とか言われて。うれしいけど、そういう問題じゃないじゃないですか。相談しろよって(笑)。

――それは確かに(笑)。ほかに日本人選手とのかかわりで思い出深い出来事などありますか。

坂井 (さくら)えみさんともすごく仲良くさせていただいているんですけど、一度、里村さんが来られた時に連絡してくださって。WWEに来るゲストが泊まるホテルがウチから歩いて5分くらいなんですよ。それでえみさんと里村さんとでウチに来ていただいて、みんなでご飯食べて話したり。私としては二人とも2、3年くらい先輩なんですけど、だいたい同じくらいの時代を日本で生きてきたので、すごいよかったですねえ。もちろんお二人とも先輩なんですけど、これからも頑張っていただきたい先輩だと思っています。

――今の時点でアメリカに拠点を移して何年くらいなんですか。

坂井 日本にまったく帰って来なくなったのが2006年なんですよ。

--それまでは日本とアメリカを行き来したりがありましたもんね。

坂井 だから18年ですかね。でも英語全然しゃべれないですわ、いまだに(笑)。

後編は近日公開

インタビュアー:泉井弘之介

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