デスマッチ&ハードコアユニットの大会休止から3カ月 世羅りさの現在地
<写真:本人提供>
ところが、クリス・ブルックスとの試合で世羅が救急搬送される緊急事態。発表どころではなくなってしまったのだ。騒然とする場内。しかし不幸中の幸いか、世羅にはしっかりと意識があった。救急車のなかで、世羅はこんなことを考えていたという。
「私がいなくなったら誰がみんな(出場選手)にギャラを払うんだ? 手続きは誰がするんだ? 誰が車を運転して帰るんだ? 荷物は? どうしよう…」
裏方の仕事ばかりが脳裏をよぎる。デスマッチファイターではなく興行主の世羅が、病院に運ばれた。が、その頃、会場では世羅の心配をよそにほかのメンバーたちがしっかりと仕事をこなしていたのである。
「藤田がリングで『世羅は大丈夫なので安心してください』と言ってくれたり、(終了後の)掃除はまかせてくれと。くるみは荷物を持ち出してくれて、夏実が運転をしてくれた。自分一人でプロミネンスを背負ってるつもりが、みんなちゃんと動いてくれたんですよ。自分一人でやってると思ってたのに、実はみんなが陰で動いて支えてくれてたんだと気づきました」
これが2年間でもっとも印象深かった出来事だったと、世羅は言う。結局、不定期開催にはなるものの、メンバーの意思を尊重しプロミネンスの看板は下ろさないと決めたのである。3・18新木場でクリスと再戦し、今後の方針を発表、4・23新木場が最後の定期戦となった。
「解散しなくてよかった? そうですね」と、世羅。振り返ってみれば、この2年間は実にさまざまなハプニングがあった。それは公私ともにで、特に大きかったのは、すずの脱退と、オルカ宇藤との離婚だった。
「もちろんずっと話し合ってはいたんですけど、すずの脱退は当日発表になってしまいました。プロミネンスは“来る者は拒まず、去る者は追わず”では全然ないんですね。むしろ、“来る者は拒み、去る者は追う”んです。ただ、本人がやりたいと言ってることを引き留めてまで彼女の成長を止めるわけにはいかなかった。なので、意外とすんなり(脱退を)OKしました。アナタはアナタの居場所でがんばればいいよって。でも、発表したとき(23年4・24後楽園)の会場の空気がヤバくて。実は知らなかった選手も多く、これからどうするんだと、お客さんも含めて大変な空気でした。実際、すずをエースとしてカードも組んできたし。でも、すずの脱退がかえって自分にも全体にもいい刺激になったのかなって。本当に哀しいし寂しかったけど、すずがいないぶん、がんばらなきゃとも思えたし、彼女との道が途絶えたわけでもなかったので」
<写真:本人提供>
すずの移籍後、世羅とくるみがスターダムに乗り込みタイトルにも挑戦した。今後も事あるごとに、なんらかの形ですずとは闘っていくのだろう。
「元気にしてるかなと思って乗り込んだら元気にしてるし、もう吹っ切れたというか、あっち(スターダム)に行ってよかったんだなってすごく思いますね」
「吹っ切れた」と言えば、離婚も、だろうか。
「離婚を決めたのは、すずの脱退後でしたね。実は旗揚げ当初から不倫は発覚してたんですけど、とにかくいまはプロミネンスで突っ走ろうと思っていたので。それで一年間やってきたなかですずの脱退があり、これからは自分のことをちょっとは考えてもいいんじゃないかなと思って、話し合いました。それで一人でやっていきたいと伝えたら、あっちも納得してくれて、本当に円満離婚です。ただ、あっちが悪く言われるのはちょっと…でもしょうがないですよね、不倫してたんだから(苦笑)。結果的にお互いを尊重して離婚して、人生を振り返るいいきっかけにもなったとも思っています。プロレスラーとしてのきっかかがすずで、人生のきっかけがオルカさんだったのかなって。本当に去年はいろいろありましたね。ありすぎた(苦笑)」