【SEAdLINNNG】中島安里紗、18年の壮絶なキャリアに幕!多数のファン・関係者に見守られマット界に別れを告げる

8月23日、東京・後楽園ホールで行われたSEAdLINNNGの9周年記念大会は、女子プロレスラー・中島安里紗のキャリアを締めくくる舞台となった。

中島がプロレスの道を志したのは中学2年生の時。

新日本プロレスの金本浩二に憧れを抱き、その情熱を胸に秘めた中島は、2005年に女子プロレスAtoZに入団し、翌年にはデビューを果たした。

中島のキャリアは決して平坦なものではなかった。

2006年にはAtoZの活動停止という予期せぬ事態に見舞われるが、フリーランスとしてJWPを主戦場に活動を続け、やがてJWPジュニア王座を獲得。

さらに、2007年にはPOP王座を手にし、ジュニア二冠王に輝いた。

試練は続くものの、中島はその都度逆境を乗り越え、ジュニアとPOPの王座を取り戻すことに成功する。

中島のプロレスラーとしての姿勢と覚悟は、多くのファンと仲間に勇気を与えた。

引退試合のリングで中島が見せた闘志は、かつてのどの試合にも劣らないものであった。

今大会2試合目のメインイベントに出場し、松本浩代&中森華子と対戦した最後の一戦は、中島の集大成とも言える戦いだった。

序盤から終盤まで、リング内外での攻防が繰り広げられ、中島の新たなコスチュームとともに観客の声援が会場を包んだ。

中森との打撃戦や松本の猛攻に耐え、中島は何度も立ち上がったが、最後は松本のロックドロップに屈した。

試合終了のゴングが鳴り響くと、観客からは大きな拍手が送られ、中島のこれまでの努力と情熱に対する感謝と称賛の声が沸き起こった。

中島のキャリアは、数々の挑戦と挫折、そして復活の連続であった。

2009年には体調不良で長期欠場を余儀なくされ、一度は引退を決意するも、2011年に復帰を宣言。

再びリングに戻った中島は、阿部幸江とのタッグやさまざまな団体での試合を通じて、再びその実力を証明した。

2019年にはBEYOND THE SEA SINGLE王座を獲得し、高橋奈七永との因縁の対決で勝利を収め、髪切りマッチでも勝利するなど、最後までその闘志は衰えを見せなかった。

中島の引退は多くのプロレスファンにとっても感慨深いものとなった。

女子プロレス界において、中島の存在はまさに「強さの象徴」として語られる存在であった。

中島の引退によって空いた場所は、これからのSEAdLINNNGの新世代が埋めていくことになる。

中島「今日は私の引退試合にこんなに沢山の方に集まっていただけて、本当に嬉しいです!有難うございます。中学校を卒業して、すぐにこの世界に入って、人生の半分をプロレスラーとして過ごしてきました。楽しいことや嬉しいことよりも辛いこと、苦しいことのほうが沢山ある世界です。だけど、その全部がたった1試合でフッ飛ぶ、そういう試合があったから、そういう試合をまたしたかったから、10何年やってこれました。本当に最後まで女子プロレスが大好きで。今日の試合もメチャクチャ楽しかったし『女子プロレス最高だ!』って言える自分のまま終わることができて、本当に嬉しいです!この気持ちのままいられることは幸せなことだと思います。それも全てお世話になった関係者の方々、こんなワガママなどうしようもない私を育て上げてくださった先輩方、そして、こんな感じの悪い私にグングン詰め寄ってくれた後輩達、仲良しこよしせずにずっと強いライバルであり続けたライバルたち。そして誰よりも信頼できるタッグパートナーでいてくれたつっか、有難う。本当に沢山の人に支えられて、皆さんに最後まで支えられて、女子プロレス人生を終えられること、心より感謝しています。本当に有難うございました!」

試合後、中島は自身のXで感謝の気持ちを綴った。

「女子プロレスラー中島安里紗。
これにて終了!!
満員のお客様、そして最高の仲間達に囲まれて無事にリングを降りる事が出来ました。
18年間、本当にありがとうございました!!
最後まで女子プロレスが大好きで、女子プロレス最高でした!!」

中島安里紗の足跡は永遠にプロレス界に刻まれ続けるだろう。

中島が残したものは、単なる記録や勝敗ではなく、リング上での闘いに対する真摯な姿勢と、プロレスを愛する心そのものだった。

これから中島がどのような道を歩むのかは未知数だが、プロレスラーとしての中島安里紗が見せてきた幾多の素晴らしい名勝負は、ファンの心の中に生き続ける。

18年間のプロレス人生、本当にお疲れ様でした。

次のステージでの成功を心から祈っています。

Pages 1 2 3

◆プロレスTODAY(LINEで友達追加)
友だち追加