【レジェンド外国人レスラー伝】「超竜」スコット・ノートン、平成の日本マット界を彩った最強外国人レスラー

【レジェンド外国人レスラー伝】

スコット・ノートン――「超竜」の異名を持つアメリカ人レスラーとして、平成の日本マット界における最も象徴的な存在の一人だ。

ノートンの巨体と圧倒的なパワー、そして寡黙ながらも強烈な存在感がファンの心に深く刻まれている。

アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス出身のノートンは、アームレスリングの世界チャンピオンとしても知られ、30以上のタイトルを手中に収めていた。

その驚異的な力から「フラッシュ」の異名を取った彼が、1987年の映画『オーバー・ザ・トップ』でシルベスター・スタローンと共演したことは、多くのプロレスファンにとって象徴的なエピソードである。

しかし、ノートンが真に世界にその名を轟かせたのは、新日本プロレスでの活躍だ。

1990年、マサ斎藤の推薦により初来日を果たしたノートン。

初戦からそのパワーを遺憾なく発揮し、馳浩や佐々木健介、そして長州力を相手に見せた圧倒的な強さは観客を釘付けにした。

「倒れない」ノートンの姿は、一瞬にして日本のプロレスファンの心を掴み、彼の名声は確固たるものとなった。

その後、ノートンは新日本プロレスにおいてトップ外国人レスラーとしての地位を確立。

1992年にはトニー・ホームと組んでIWGPタッグ王座を獲得し、翌年にはヘラクレス・ヘルナンデスとの「ジュラシック・パワーズ」で再び王座に輝いた。

さらに1998年には永田裕志を破り、外国人として3人目となるIWGPヘビー級王座を手にした。

スコット・ノートンが特異なのは、そのパワーファイトのスタイルだ。

ノートンの得意技「超竜ボム」や「パワースラム」は、常に観客の度肝を抜くものであった。

特にフィニッシュ時に見せる相手を圧倒的な力で投げ捨てる様は、まさにノートンの代名詞といえる。

1996年、WCWのnWoにも参加し、アメリカのリングでもその存在感を示したノートン。

しかし、日本のファンにとって、ノートンの圧倒的な強さと誠実な人柄が魅力的だったことは間違いない。

ノートン自身も日本のリングでの活躍を誇りに感じていたという。

強さはもちろんだが、その裏には日本プロレスへの深い愛と尊敬があった。

繰り返し来日し、新日本プロレスのリングに立ち続けたのも、その証だ。

2022年4月には新日本プロレスのアメリカ・シカゴ大会にてビッグマッチ『Windy City Riot』にノートンがBULLET CLUBメンバーとして登場し、場内を大いに沸かせた。

日本マット界において「超竜」スコット・ノートンの輝かしいキャリアは、これからも永遠に語り継がれるであろう。

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