還暦迎えた神取忍 柔道から鳴り物入りでプロレス入り、対抗戦から男女対決への軌跡
「写真:新井宏」
10月30日に60歳を迎えたLLPW-Xの“ミスター女子プロレス”神取忍が、11月18日(月)TOKYO DOME CITY HALLにて『神取忍還暦祭り~人生もう一度~』を開催する。このイベントは、昨年の同所における大会において、井上貴子(デビュー35周年)が「来年は神取さんの還暦、(神取のために)絶対になにかやりますので」と発言していた計画の具現化である。
神取は、今年がデビュー38周年。86年8月17日に旗揚げしたジャパン女子プロレスで、初マットとともにいきなりエースの座を獲得した。ジャッキー佐藤、ナンシー久美、風間ルミと並ぶ「四天王」と呼ばれたのは、プロレス未経験ながらも柔道で数々の実績を引っ提げ、鳴り物入りでプロレス界に入ってきたからだ。
しかしながら、柔道を始めたことさえ、神取にとっては偶然にすぎなかった。柔道時代、プロレスラーになることなどまったく予想もしなかった。むしろ見下していたと言っても過言ではない。それがどうして、還暦を迎えたいまも現役にこだわり、リングで闘い続けていられるのか。まずは神取自身に、柔道との出会いから振り返ってもらおう。
「柔道を始めたのは、中学3年生の終わりくらい。おそいでしょ。というのもね、当時、内申書ってあるじゃない。そこで、特技の欄に柔道とか空手とか書きたかったんだよね。中学では陸上部で短距離走や砲丸投げをやってたんだけど、なぜかそっちの方を書きたかった。それで親に話したら大賛成でね。というのも、私はあいさつひとつできない子どもだったの。柔道やったら変わるかもと思ったんだろうね。父の知り合いの関係から街の柔道教室を紹介してもらったんだ」
ではなぜ、街の道場から全日本や世界選手権で数々の輝かしい記録を残せるまでに成長したのだろう?
「入ったときには、それこそ小学生に投げられてた。中学生の私が小学生に負けるわけないと思ってたし、力自慢でもあったしさ。それなのにポンポン投げられて、いったいこれはなんなんだと思ったのがきっかけ。そこから柔道のおもしろさを知って、勝ちたいからいろいろ出稽古するようになったんだよね。現実を知り、技もスタミナも必要だと感じ、自分で独自に研究していったんだ」
「写真提供:LLPW-X」
すると、神取の才能が開花。レベルがどんどん上がっていった。オリンピック出場も視野に入っていたのだが…。
「(1988年のソウル)オリンピックまでまだ3年もあった。そこまで待てないなと感じて、柔道はやめることにしたんだよね。柔道から離れて仕事をしよう。ジムのインストラクターになろうと思っていたんだ」
しかし、柔道仲間が面白半分で、女子プロレスの新団体ジャパン女子に履歴書を送ったという。柔道で活躍していた頃から、「プロレスラーになったら?」との声は多く聞いていた。そのほとんどが冗談めいていたのだが…。
「当時はさあ、身体が大きい女子は『女子プロレスラーにでもなったら?』ってよくからかわれてたんだよね。私もそうだった。だけど、私は女子プロにいっさい興味はなかったよ」
80年代なかばは、全日本女子プロレスのクラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)が大ブームを起こしていた頃。しかし神取は女子プロには目もくれず、柔道にいそしんだ。が、やめるとなればきっぱりやめる。それは神取の性格がなせる業でもある。このまま格闘技から離れた可能性も高かったのだ。
「そのときね、ジャパン女子から家に手紙が来たの。『ぜひお会いしたい』と。母が手紙を受け取って『こんなの来てるけど』って見せてくれたんだ。だけど私には身に覚えがないわけ。それは友人が勝手に送ったものだとわかり、まあせっかくだから話だけは聞いてみようかなって、面談に行ったんだよ」
こんなすごい素材がプロレスラーをめざしている。団体からすれば狂喜乱舞の応募だったのではなかろうか。しかし、当の本人はプロレスに興味がない。ではどうやって、旗揚げ前の団体が神取を口説き落としたのか。
「税金対策とか含めて、お金の話もあったけど、『いままで身体を張って人に感動や夢を与えることをしてきたかい?』みたいな話になって、そういう部分にワクワクしたんだよね。じゃあちょっとプロレスやってみようかなって。誘い方がうまかったよね(笑)」
「写真:新井宏」
しかし、柔道とプロレスはまったく異なる種目である。柔道家の神取にとって、プロレスの受け身を身体で理解するにはかなりの時間がかかったという。相手の技を受けてしまえば、それは即、負けにつながるからだ。しかし、プロレスでは相手の技をあえて受けている。考え方からして違うのだ。世の中のクラッシュブームにも背を向けていた。
「技を受けるってことが信じられなかったし、プロレスが嫌いというよりは食わず嫌いだったよね。それがいざやってみるとなって、やっぱり受け身が大変だった。柔道には横受け身があるにしても、真後ろや前ってないでしょ。そこもプロレスとは違うし、そこはもうゼロからだよね。後ろ受け身は怖くて、なかなかできなかったよ。だからこそ、数やって慣れていくしかなかった」
旗揚げ戦からメインイベンターとして闘ってきた神取だが、デビュー当初は練習生のような苦労もあったのだ。それでも団体の看板を背負うことを任された。だからこそ練習を重ね、強気な発言にも打って出た。「ダンプ(松本)は10秒で倒せる」「クラッシュギャルズなんて目じゃねえ」など、オポジションの全女を挑発したのだ。
「生意気なことばっか言ってたね(笑)。確かにあの頃は、リップサービスもあったよ。それに、本当にそう思ってた部分もある。自分にプレッシャーをかける意味でね」
単なるリップサービスにとどまらず、その気持ちを形にしたのが、全女の会場に姿を現し長与を挑発した事件だった。が、結局、そのとき長与vs神取の試合は実現しなかった。大人の事情が邪魔をしたのだ。神取はフリーとなり、やがてジャパン女子は解散。ジャパン女子がJWPとLLPWに分裂したのだが、神取の選択は後者だった。そこには、ジャパン女子の終焉に立ち会えなかった風間の存在があったという。
「解散の試合に風間がいなかった。それはないだろう、守ってきた人間をなんで排除するんだと。そこはアタマにきた。風間も風間で、ここで終わりたくない気持ちもあったから、じゃあ一緒にやろうって感じだよね」