「いぶし銀」木戸修さんの一周忌に蘇る数々の思い出 猪木さんと新日本プロレスへの熱い想い

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

12月11日は昨年2023年に、73歳で亡くなった「いぶし銀」木戸修の一周忌。リング上では新日本プロレスなどで名人芸ファイトを披露し、私生活では良き夫、素敵なパパ、カーマニアで知られていた。

晩年はプロゴルファー、木戸愛(めぐみ)の父として車でトーナメント会場に送迎する姿が取り上げられていたが、神奈川・横須賀市の高台に建つ豪邸で、トレーニングを欠かさない日々を過ごしていた。

ダンベルなどトレーニング用具に加えコシティも完備。自宅の前には春には立派な桜が咲き乱れる公園があり、よく走りこんでいた。「いつでも声がかかれば、やれるぞ」と力強かった。

新日本プロレスを設立時からともに支えた藤波辰爾が、全日本マットに登場したことを知るや、普段は感情をあまり表に出さない人が「ええッ、何だと」と目を見開きギョロリ。

テレビ解説で全日本戦士の闘いを絶賛していたと聞くと、またまた「何だって!?」と怒気がたっぷり。ゆったりと座っていたのに、今にも立ち上がらんばかりだった。木戸には似合わない言動に驚いてしまった。

木戸は日本プロレスに入門し、猪木・新日本と馬場・全日本の立ち上げから両者、両団体の確執を目のあたりにしていた。対抗戦で全日本勢と激突している。それだけに「三つ子の魂百まで」とばかり全日本プロレスへのライバル心はいつまでも赤々と燃え上がっていた。

実は西村修との「修コンビ」で全日本プロレスのアジアタッグ王座を狙うプランが進行していた。残念ながら見送られたが、実現していたら、いつも以上に燃える木戸の勇姿を見られたはず。

国産、外国車を問わず高級車を乗り継ぐカーマニアだった。もちろん自分でハンドルを握るのも大好きだったが、助手席でどっしり構えることも多かった。

今年9月に他界した「虎ハンター」小林邦昭も、よく駆り出されていた。「木戸さんに言われたら断れないからな」とこぼしていたが、どこか楽しそうだった。

車中では様々な話をしたようだが「運転にも技術があるんだ」には、さすがに参ったようだ。「レスリングやゴッチさんの話はともかく、運転手をさせといて、結構うるさかったよ」と言いながらもニコニコしていた小林の笑顔を思い出す。

お宅に何回も伺った。その度に、ポルシェなどで駅まで送ってもらった。22年の春、満開の桜を屋上ベランダから眺め、陽光にきらめく東京湾に目を細めながら、語らせてもらったのが最後になってしまった。

横には、使い込まれて年季の入ったコシティが置いてあったのが忘れられない。木戸と共に歩んできた古いコシティ。木戸の人生に寄り添って来た相棒だろう。色も変わり歳月が染み込んだコシティだが、何とも渋く風格があり、まるで木戸そのものに見えた。

あなたがいなくなってからもう一年です。天国でゴッチさん、猪木さん、二人の師匠と何を話していますか。空の上のリングでスパーリングしているのでしょうか。あらためて合掌。(敬称略)

<写真提供:柴田惣一>

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