昭和の象徴・力道山を新たな視点で描く斎藤文彦氏の新刊『力道山 ─「プロレス神話」と戦後日本』
斎藤文彦氏の新刊『力道山──「プロレス神話」と戦後日本』は、戦後日本を象徴する国民的ヒーローである力道山の実像を解き明かす一冊である。岩波新書の新作として2024年12月24日に発売されたこの書籍は、長年の取材と膨大な資料を駆使し、波乱万丈な生涯とプロレスが日本社会に与えた影響を緻密に描き出している。
力道山は、空手チョップを武器に外国人レスラーとの戦いで人々を熱狂させたプロレスラーである。大相撲力士として成功を目指しながらも、その道を断念し、戦後の混乱期にアメリカのプロレスへ転向。やがて、テレビ放送の普及とともに「プロレス」という新たな娯楽を家庭に届け、戦後復興の象徴的存在となった。本書では、どのようにして国民的スターとなり、「神話」を背負う存在となったのかが詳細に描かれる。
目次には、大相撲時代の葛藤と挫折、プロレスラーとしての出発、メディアとの関係、さらには木村政彦との「昭和巌流島」の決闘とその舞台裏が含まれている。特に、戦後の混乱期における生き様を深く掘り下げ、「なぜその時代に必要とされたのか」という視点から、存在が持つ歴史的意義を考察している点が魅力的だ。
テレビとプロレスの関係性に光を当てた章では、当時のメディア戦略や街頭テレビを通じて人々を熱狂させたエピソードが語られる。試合がどのように演出され、テレビという新たなメディアを介して「国民的ヒーロー」としての地位を確立した背景が豊かに描写されている。
さらに、最期の日々についても触れられ、突然の死がどれほどの衝撃をもたらしたかが記録されている。日本プロレス界に残した功績と、その死後のプロレス界の歩みを知ることで、影響力の大きさを実感することができるだろう。
斎藤氏は、本書を通じて「神話の正体」を明らかにし、実像を浮かび上がらせている。同時に、社会背景や文化的な影響についても考察を深め、単なる伝記を超えた日本社会史としての魅力も兼ね備えている。
斎藤氏は「これまでに力道山をテーマにした書籍はたくさんあったが、そのほとんどがヒーロー力道山の一代記であったのに対し、この本は力道山伝説の誕生のプロセスに重きをおきました。力道山から見えてくる昭和の戦争、戦後と復興、テレビの出現から高度経済成長にさしかかるあたりまでの日本を描きました。」とコメントを寄せた。
『力道山──「プロレス神話」と戦後日本』は、プロレスファンのみならず、戦後日本の歴史やメディアの発展に興味を持つすべての人々にとって、必読の一冊となるに違いない。
空手チョップを武器に外国人レスラーと激闘を繰り広げ、戦後日本を熱狂させた力道山。大相撲から、アメリカで大人気を博していたプロレスへ転じ、テレビの誕生・発展とともに国民的ヒーローとなった。神話に包まれたその実像とは。そして時代は彼に何を仮託したのか。長年にわたる取材の蓄積と膨大な資料を駆使して描き出す。
【目次】
はじめに――力道山とは“だれ”だったのか
▼第1章 大相撲にかけた自己実現――“日本人化”の葛藤と挫折
「プロ・レス」から「プロレス」へ
大相撲=“日本人”としての地位=富と名声
初めての負け越し、そして終戦
戦後、初入幕
横綱・羽黒山との激闘
故郷の分断とアメリカ文化への傾倒
突然の断髪
断髪をめぐるさまざまな憶測
相撲から学んだ人生のメタファー
“長崎県出身”というプロフィール
“出自”を追ったふたつの文献
「深層海流の男」――牛島リサーチから
「力道山の真実」――井出リサーチから
少年時代を知る人物の証言
“生年月日”は永遠のミステリー
日本国籍のパスポートでアメリカへ
▼第2章 プロレスとの出逢い――ヒーロー誕生前夜
相撲廃業から建設会社勤務へ
不発に終わった相撲復帰プラン
プロレスとの遭遇をめぐる“定説”
演出された“出逢い”のエピソード
ブランズ興行初日を観戦していた力道山
“定説”と『毎日新聞』記事との矛盾
だれが力道山をプロレスに勧誘したのか
ヒーロー物語から消された(?)GHQの影
アメリカのプロレス界の日本市場調査
プロレスラーとして“仮デビュー”
力道山をプロデュースした男たち
“九州”の先輩、元小結・九州山
アメリカ武者修行の壮行パーティー
もうひとつの“非公式”な会合
力道山の理解者、永田貞雄
プロレスという“西洋相撲”
▼第3章 「日本のプロレス」の誕生――ヒーローはどのようにつくられたか
ハワイでの力道山育成プラン
黒のロングタイツがトレードマークに
“空手チョップ”の開発
“悪役ジャップ”を演じなかった力道山
丸一年を迎えたアメリカ武者修行の旅
力道山以前の日本のプロレス文化史
プロレスのもうひとつの源流“プロ柔道”
メディアをコントロールした力道山
プロレスを「殴る、蹴る、打つ」と説明した力道山
日本プロレス協会発足
「力道山レスリング練習所」完成
ハワイで世界王者テーズに初挑戦
“民放テレビの父”正力松太郎
力道山と接触した戸松信康プロデューサー
プロレス番組放送に向けて
プロレスに対して懐疑的だった『朝日新聞』
テレビとともに始まった“プロレス元年”
シャープ兄弟の初来日
街頭テレビに黒山の人だかり
試合結果に隠されていた“あるヒント”
▼第4章 昭和巌流島の決闘――力道山はなぜ木村政彦に勝たなければならなかったのか
相撲にも柔道にもない“タッグマッチ”
力道山のプロデューサーとしての才覚
対談記事にみる力道山のプロレス観
力道山の相撲観
プロレスラー力道山の国際的感覚
プロレスの“むずかしさ”
“プロレス元年”に力道山、木村派、山口派の鼎立
新パートナーの起用と新人のデビュー
木村が力道山に挑戦表明
不自然なほど短期間で正式決定した「日本選手権」
「力道、木村をけり倒す」
“残酷な結末”と“やるせないあと味”
「両雄並び立てぬ力道山と木村」
木村が語った“真相”
“定説”をくつがえした木村証言
力道山の策略だったのか?
力道山に“三回”敗れた木村
▼第5章 「力道山プロレス」の完成、そして突然の死
山口利夫との日本ヘビー級選手権
元横綱・東富士がプロレス転向
“横綱レスラー”の全国巡業
キング・コングとアジア選手権
TBSがプロレス中継に新規参入
“世界一周の旅”というイメージ
シャープ兄弟が再来日
日本王座、アジア王座、そして太平洋王座
力道山の“ワンマン体制”発足
日本テレビがプロレス番組レギュラー化を企画
新番組『ファイトメン・アワー』放送開始
日本プロレス―日本テレビ―三菱電機の超強力チーム誕生
“鉄人”テーズ、ついに初来日
テレビ放送をめぐるギリギリの“攻防”
“六十一分時間切れ”の引き分け
力道山―テーズ戦の全国巡業
“大どんでん返し”の予感
力道山「世界王座獲得」のニュース
インターナショナル王座の“出自”
映像に残されなかった歴史的一戦
“至宝”インターナショナル王座
ラストシーンの足音
テレビ“ショック死”事件
極秘の韓国訪問
板門店“北緯三十八度線”に立った力道山
“空前”の結婚披露宴
運命の日
一九六三年十二月十五日、力道山死去
力道山のいないプロレス