【独占対談】里村明衣子とウナギ・サヤカが2.16後楽園決戦を前に赤裸々対談実現「女子プロレス入門とデビュー後の葛藤」

“女子プロレス界の横綱”里村明衣子(センダイガールズプロレスリング)と“極彩色に翔る歌舞伎者”ウナギ・サヤカが、日本財団の公式YouTube番組「2SQ-ツーショットクエスチョンズ-」で特別対談を行った。

この対談は、2月16日に後楽園ホールで行われるウナギ・サヤカの自主興行『殿はご乱心 我が名は』に向けた前哨戦ともいえる内容。

両者はこれまでのキャリアや試合への意気込みを語り合い、さらに女性アスリートとしての本音や女子プロレスの未来についても踏み込んだ議論を展開。

2時間にわたる熱のこもった対話は、1月末に配信スタートとなった。【記事提供:日本財団】

※全3回の特別対談『第1弾』を掲載

【女子プロレスの生理事情】里村明衣子×ウナギ・サヤカ Ι 女子プロレスのリアル Ι 2SQ

―― Q1 自己紹介をお願いします。

里村)里村明衣子、45歳。センダイガールズプロレスリング代表取締役。女子プロレス界の横綱と呼ばれています。

ウナギ)はい、ウナギ・サヤカ、38歳、所属はなくて、自分の会社株式会社ウナギ・カブキを設立しました。極彩色に翔ける傾奇者です。よろしくお願いします。

―― Q 現在、プロレスラーとしてのキャリアは何年目?

里村)30年目です。

ウナギ)キャリアは6年目です。

―― Q 相手の印象を一言で言うと?

里村)賢い。

ウナギ)鬼。

―― Q 自分の性格を一言で言うと?

里村)一本気だけど複雑。

ウナギ)破天荒。自分本当に思いつきで突発的に動くことが多いので、そういう風に見えるだろうなって思います。はい。

―― 具体的にどういう時にそういうことを感じるとかありますか?

里村)そうですね。やりたいこと全部やりたいですし、すごい一本気なんですけど、代表取締役という立場になってから、それがきかなくなった。自分だけの考えじゃ進めないなっていうのはすごくありますね。

―― Q 出身地は?

里村)新潟県です。

ウナギ)大阪です。

―― Q 自身が育った家族構成は?

里村)3姉妹の末っ子です。

ウナギ)私は二人姉妹の末っ子です。

―― ご両親がどういうお仕事をされていたんですか?

里村)両親は建設関係の会社を経営してます。

ウナギ)私は両親教師で。両親教師で外れちゃったんですよね。きっとね。私が。

里村)おもしろーい。

ウナギ)でも母はもう子供ができた時にはもう教師を引退してて、「元」なんですけど、二人とも教師です。お父さんが英語で、お母さんが国語と古文かな。

―― 勉強させられてる感じだった?

ウナギ)勉強させられてたのかな。しなきゃいけないことは多かったですけど。でも元々そんなにできない方ではなかったので。高校の部活がすごい厳しくて、赤点取ったら大会出れないとかだったんですよ。だから赤点取れないし。だから普通に勉強はしてました。はい。

―― 両親も厳しかったですか?

里村)いや、厳しくなかったです。全然ない。

―― 自由気ままに育てられた?

里村)すごい自由でした。

ウナギ)社長令嬢ってことですよね。やっぱり。

里村)そんなことない。うちは家族経営だったんですよ。今も家族経営なんですけど、私はもう家族経営がもう絶対に嫌で理解できなくて。だって大変なんですよ。家族がグッチャグチャになるし。だから私は自分の会社は絶対家族は入れない。一切入れないです。

―― Q スポーツの経験は?(プロレス以外)

里村)はい。3歳から柔道をやってました。

自分からやりたくてという感じだった?

里村)姉の二人が柔道をやっていて、たまたま近くに柔道教室があってね。自分もやりたいって言ってついていってましたね。

―― 他にやりたかったスポーツはなかったです?

里村)クラシックバレエ習いたかったです。女の子っぽいことしたかったですね。

実現しなかった?

里村)できなかったです。

ウナギ)私は小中はシンクロナイズドスイミングをやってて、高校生は3年間チアリーディングをやってました。シンクロは全国大会入賞とかもしていて、チアリーディングもずっと全国優勝してる高校だったので、日本一です。

里村)すごい。

ウナギ)恵まれてましたね。シンクロもオリンピック選手が出てるところ、高校も本当に大阪のすごい強い高校で優勝したので、たまたま、何か導かれてじゃないですけど、恵まれてました。

―― 練習もかなり厳しい?

ウナギ)そうですね。本当に小学校とかも卒業式出たらそのまま合宿だったりとか、基本練習、みたいな生活でした。

里村さんの柔道は結構厳しかったですか?

里村)そうですね。厳しかったです。最後、中学3年生の時はもうプロレスラーになりたかったので、肩書きが欲しかったんですよ。県大会は優勝したけど、全国大会ではもう上位には行けなかったです。

―― Q プロレス界に入ったのは何歳のとき?

里村)はい。15歳です。

ウナギ)すげえ。わたしは32歳、ですね。

里村)入門したのは15歳の中学3年生の2学期が終わってから入門しました。中学3年生の3学期は学校に行ってないです。特別に卒業させてもらいました。

ウナギ)プロレスラーになりたいって言って、中学生の間に入団テストを受けに行ったみたいな?

里村)中学3年生の8月にオーディションを受けたんですよ。で、ガイア・ジャパンの旗揚げが4月だったんですよ。4月の15日で。私が卒業してから入門したらデビューまでに間に合わないので、同期はもっと前に入ってて、どうしても旗揚げ戦にデビューしたかったので、もう3学期学校行きたくないって言ったら、教育委員会に校長先生が話してくださって。それで特別に許可をいただいて。で、行かなくて良かったんですよ。

ウナギ)すごいです。

里村)だから最終学歴は中卒。

ウナギ)すごい。だって倍、倍ですよ(デビューした年齢が)。

里村)倍だね。

ウナギ)嘘みたいな世界ですね。

里村)でもここまで来るとあんまりスタートって変わらないな、関係ないなと思うから。15だろうが25だろうが30過ぎてからだろうが。だってこうやって巡り合ってるわけですからね。

ウナギ)それがやっぱプロレスのすごいところなんですよ。

里村)そうなんですよ。

ウナギ)だって私だいたい先輩、年下しかいないですね。

里村)年下にタメ口とかきかれるよね。

ウナギ)そう、「ウナギ」とか言われて。15歳とかに言われるんですよ。

―― Q なぜプロレスに興味を持った?

里村)私は新潟出身なんですけど、新潟市体育館に新日本プロレスが来てて、姉に無理やり連れて行かれたのがきっかけです。

ウナギ)見た瞬間に(プロレスラーに)なりたいってなりました?

里村)見た瞬間はプロレスのルールが分からなくて、試合は一切見てなかったんですけど、選手が入場してきた時にみんな触りに行くわけですよ。私も触りに行って。それがもうとにかくプロレスラーが格好いい。すごいかっこよかったんですよね。

―― それって誰の試合だったんですか?

ウナギ)気になる、気になる!

里村)試合見てなかったので。その当時の選手全然覚えてないですけど、小島聡さんがまだヤングライオンだった時、皆さんいらっしゃいましたね。橋本真也さんもいらっしゃいましたし、すごいかっこよかったですね。で、その時私はもう世界で初めて女子プロレスを作るって思ったんです。そしたら実際、もうあったっていう。

ウナギ)女子があると思ってなかったんですね。

里村)知らなかったですね。

ウナギ)その時からプロレスラーになるってずっと決めていたんですか?

里村)そうそうそう。それで中学2年生の時に私の人生ががらっと変わったんですよ。

ウナギ)柔道をやってて良かったってことですね。

里村)そうですね。

ウナギ)私はノリです。プロレスに興味を持ったって言うか、知り合いに「プロレスやれば?」って言われて、「無理、無理、無理、無理」みたいな。だってアジャコング、顔に絵を描いた人、みたいなイメージしかなくて。プロレスって裸のおじさんがパンツで闘ってるみたいなのしか知らないから、「絶対嫌だ」って言ってたんです。でも、東京女子プロレスのポスターを初めて見た時にこんな可愛い人たちが今プロレスやってんの?すげえやるやる!みたいな。だから東京女子の練習生になって試合の手伝いに行くことになった時に、初めてプロレスを見ました。

― Q10 どのようにしてプロレス界に入ったの?

里村)最初は全日本女子プロレスに入りたかったんですけど、オーディションを受けようとした時に、ちょうどテレビで長与千種さんが新団体を旗揚げするっていうことで新人を募集していたんですね。それに応募しました。履歴書を書いて。

―― 応募は多かったんですか?

里村)聞いたのは120人書類が来て、選考された40人が体力テストを受けに、実際のオーディションに参加しました。

―― 年齢的に里村さんぐらいの人もいたんですか?

里村)いなかったです。高校・大学を卒業した人がいて、その時にレスリングの世界チャンピオンが二人いました。でも、その選手を長与さんは取らなかったんです。

ウナギ)なぜですか?

里村)まっさらな、何もできない子たちを育てるっていうことで、

ウナギ)体力テストの内容は?

里村)体力テストは腕立て伏せ50回、腹筋50回、ブリッジ3分、縄跳びとか、最後にスクワット200回。あと特技披露をやって質疑応答みたいな。

ウナギ)何を聞かれるんです。質疑応答は?

里村)長与さんには「体が小さいけど、それをどうやって克服するの?」って言われて。私は「誰よりも気持ちは負けません。落とされても必ずまた受けに行きます」って言う熱い言葉を言って。

ウナギ)で、合格した?

里村)その日に合格いただいて。

ウナギ)その日なんだ。それで何人になったんですか?

里村)13人合格して13人入門したんですけど、3ヶ月で半分に減りましたね。

ウナギ)デビューは?

里村)6人デビューしました。

ウナギ)そんな少ないんだ。私は本当に知り合いの人に「プロレスやれば?」って言われて「嫌だ嫌だ」みたいなところから始まって、本当にノリで。その時、私はアイドルをやってたんですけど、結構アイドル飽和時代で、ライブをやっても演者よりお客さんが少ないとか全然あって。お客さんが3人しかいないこともあったし。だから東京女子が当時その時って後楽園ホールの1400、500席くらいをパンパンにするっていうのを聞いて、結構衝撃的だったんです。プロレスなんか見たことないけど、「そんなに人来るの?」みたいな。だからどっちかっていうと自分のアイドルの活動のためにプロレスやったらお客さん増えるんじゃねえかみたいな、そういう、踏み台にしてじゃないですけど、それぐらいのノリで始めて。プロレス全く知らないし、何の気持ちもなかったし。

―― ちなみにプロレス始める前、どういう活動をされた?

ウナギ)プロレス始める前は映画出たり、水着で撮影会やったりとか、アイドルライブやったりとか、本当に芸能人の端くれみたいなことをずっとやってました。

―― ちなみに最近では芸能とかからアイドルとか入ってくる人って結構います?

里村)私の周りはあまり聞かないです。でもウナギ選手が所属してた団体とかはもう結構多いですよね。

ウナギ)元アイドルとか現アイドル結構いるし。スターダムもどうなんだろう。でももうわりかし私達のキャリアとか年代は意外とプロレスをやりに来たというよりかは、役者とかプロレスの映画撮るから入った、みたいな人たちが結構多いですね。

里村)そうですね。昔はアイドルレスラーになった選手もプロレスに憧れてオーディションを受けて入った選手がアイドルとして成長したっていう形なので、全然違いますね。

Pages 1 2 3 4

◆プロレスTODAY(LINEで友達追加)
友だち追加