今なおときめく「UWF」の3文字 日本プロレス史に刻まれた栄光の歴史と素晴らしき戦士たち
「写真提供:柴田惣一」
UWF。この3文字に心躍る人は多いのではないか。旧UWFが旗揚げして40年。様々な出来事が起こったが、今でもトークイベントで語られ、書籍が発表されたりしている。
1月30日に㈱ベースボール・マガジン社から「UWFの記憶」が発売された。旗揚げ40年永久保存版と銘打たれた内容だが、高田延彦「最強、敗れたり」を執筆させてもらった。
1984年に旧UWFが立ち上がって40年。記者としてリアルタイムで目撃してきただけに感慨深い。
「写真提供:ベースボール・マガジン社」
1年半でいったんは挫折したが、88年に始動した新UWFは大成功を収めた。「テレビ放送がないのは痛い」「シリーズではなく単発では難しい」…悲観論が大半だったが、それまでのプロレス界の常識を覆し、見事に大成功した。
まさにブームともいえる大人気で、月に1回の大会開催にはファンが押しかけ、チケットはプラチナペーパーと化した。
他業界の人材の知恵を得て、試合数の少なさを逆手にとって、様々な情報を発信。レスラー1人ひとりの個性を際立たせた。第1試合からテーマがあり、会場は大いに盛り上がっていた。
キック、スープレックス、サブミッション…格闘スタイルを前面に押し出したファイトで、新日本プロレス育ちレスラーの魅力が改めて爆発。若い男性ファンを中心に熱狂的支持者を集め「猪木信者」ならぬ「UWF信者」とささやかれた。
道場には若き戦士たちの情熱と志が充満し、まばゆいばかりだった。熱くのめりこむ取材者も増えていった。
一方で厳しい声も上がっていた。それまでのプロレスを応援していたファンにしてみれば「道場のスパーリング」「自己満足」…ということだった。
「ラーメンに例えれば、Uはダシのスープ。確かにダシも美味しいけど、それにしょう油味や味噌味、塩味とんこつ味などいろいろな味付けをするのがプロレス。チャーシューや味玉のトッピングなどでいろいろ楽しめる。なのに、自分たちだけが最強というようなのはいかがなものか」と、否定的なファンもいた。
とはいえUWFブームのおかげでプロレスにスポットライトが集まったのも事実。従来の団体も負けじと踏ん張りプロレス人気の底上げにつながった。
ところが長く続かないのがブーム。新UWFも2年半で解散。藤原組、UWFインターナショナル、リングスに分裂した。藤原組は2年余りの活動に終わり、パンクラスに受け継がれる。
Uインターの「最強」、リングスの「ファイティングネットワーク」、パンクラスの「秒殺」。今でも色あせないフレーズばかりである。
U系団体も幕を下ろしたが、UWFに憧れレスラーになった選手も数知れず。昭和、平成、令和と時代を経てもUWFムーブメントは不滅といえそうだ。
引退した者、業界とは一線を画した者、ファイトし続ける者…UWF戦士の動向はどうしても気になってしまう。
40年前にスタートしたUWF。今後も熱く語り継がれていくに違いない。(敬称略)
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