【SSPW】船木誠勝が3.13後楽園でレジェンド王座奪還へ「誕生日に試合があるのは運命。今年はプロレスに感謝を込めた戦いを残していく」
ストロングスタイルプロレス 3・13 後楽園ホール大会
40周年の記念イヤーにレジェンド王座奪還へ 船木誠勝インタビュー
「誕生日に試合があるのは運命。今年はプロレスに感謝を込めた戦いを残していく」
昨年12月のストロングスタイルプロレスに参戦した船木誠勝は、タッグで勝利を得るとレジェンド選手権王者への挑戦を表明。大会メインではスーパー・タイガーが村上和成を降し、新王者となった。年が明けデビュー40年のメモリアルイヤーを迎えた船木は、王座奪還、自身4度目となるレジェンド王座戴冠に思いを強くしている。大会開催日となる3月13日は自身56度目の誕生日。記念のベルトとすべく船木が静かに燃える。
――2025年が始まり、はや1ヵ月が経たんとしています。
船木 自分が大阪に来てもう10年になるんですけど、なんか去年が一番早く感じました。それで今年が始まって少し落ち着くかなと思ったんですけど、今年初のストロングスタイルプロレスがもう6週間(3月13日)に迫っているので、ほんと早いなと思っています。
――大阪を拠点にされてもう10年なんですね。
船木 フリーになった2015年から来ていて、だから今年はフリーになって10年なんです。
――大阪も10年ですし、フリーになっても10年と。
船木 そうなんです。ストロングスタイルプロレスにも2013年から出ていてもう12年、リアルジャパンプロレスの時からです。今年自分も56歳になります。ちょうど猪木さんの引退が55歳だったので、それを更新してしまうんだなって。でも、猪木さんも引退試合でドン・フライとやっていたし、自分もまだ勝負ができる年なんだと思いながらやってます。なんか、死んでから本当にちょこちょこ猪木さんを思い出すんです。とにかく猪木さんって本当に“挑戦”で、“挑戦をやめた時はもう死んだ時”、そんな感じの人ですから、そういったところは弟子だったらちゃんと見習わないといけないと思います。自分は猪木さんが引退した年齢を超えてしまったので、猪木さんがしていない新しい挑戦にも足を踏み入れていきたいです。
――自分の歳で引退した師匠のことが頭をよぎることがあるのですね。
船木 はい。引退された先輩たちもいますけど、まだ現役でやってる方もいますし、自分はもう1回引退しているので2回目の引退っていうのは考えていません。なので藤原さんや藤波さんみたいに、できるところまでやろうと思います。
――昨年は名前の上がった藤波選手が70歳のメモリアルイヤーで、記念大会などご一緒する機会がありましたが、改めて間近に接していかがでしたか。
船木 藤波さんや藤原さんを見て、あそこまでなるともう相手とかじゃないんですね。相手は自分を写す鏡というか、自分自身の肉体に対する挑戦っていう形に思えます。だから自分も、まだまだ生き延びていけるのかなってそういう風に感じています。
――そういうお二人はもちろん、船木選手も今年デビュー40周年です。プロレスという激しい戦いを長く続けられる秘訣は何でしょう。
船木 共通点はみな新日本プロレスじゃないですか。だから、そういう意味では鍛え方、鍛えられ方が違うんだと思います。やっぱり昔は異常な鍛え方をしていましたので。
――そういった土台があり今があると。
船木 ええ、だからそういうのもあって精神とも頑丈にできている気がします。もう多少の痛みとかは全然気にしてないというか。自分も4、5年前でしたか、浴びせ蹴りをして相手の頭蓋骨に当たって、脚の外側の細い骨が折れたんです。でも、スネの方の太い骨が残っていたから普通に歩いてました。けど1週間経っても痛みが取れなくて、だんだん腫れてきたんです。それでレントゲンを撮ったら折れてたっていう、そんなことがありました。
――脚の骨折があったのに普通に生活していたのはレスラーらしいと言いますか、超人的エピソードです(苦笑)。
船木 もう痛いのは我慢する、そういう体質になってます。だから忍耐、我慢強いと言うか、本当に今の時代にはない昭和の鍛えられ方だったと思います。
――そもそもの基礎・基盤が違っているのですね。
船木 長く出来てる秘訣って、それぐらいしか思い浮かばないです。今は1つ1つの試合を本当にありがたいと思ってやってます。去年はそうやって毎月ある試合に向けてトレーニングをやっていく、すごくシンプルですけどやっていて楽しくて、なんかアッという間に過ぎた1年でした。本当にようやく今、プロレスをやっていて楽しいと感じられるようになりました。
――ようやくですか。
船木 ようやくです。楽しいというか、なんて言うんですかね。いろいろ悩んだり自分なりに探し求めてきました。新日本からUWF、藤原組、パンクラスを経て1回引退して、また戻ってきて全日本に入ったりしましたけど、それこそフリーになってそこから10年やって、ようやく一人前になった気がします。