ワンマッチ大成功から両国へ。ウナギ・サヤカ「おもしろいことしたいから、歴史を軽視して新しいプロレスを創る!」
振り返ってみれば、ウナギ・サヤカ言うところの「ギャン期」は、スターダムから姿を消した2022年10月頃にスタートした。彼女独特の感覚から生まれたその言葉は一過性のブームのようなものかと思いきや、現在も衰えるどころかますます勢いを増している。
その到達点が、ウナギのめざす自主興行での東京ドーム進出なのだろう。“プロレスの聖地”後楽園ホールでの複数開催から4・26両国国技館大会を発表し、2月16日には史上初となる女子プロレスのワンマッチ興行を後楽園で開催したばかり。ウナギの行動は破天荒に見えて、実は着実に段階を踏んでもいる。では、大会場進出の発想はいったいいつ頃、どのようにして生まれたのだろうか?
「まず昨年1・7で最初の自主興行をやり、成功のノリで(東京)ドームやりたいと言って。まあ、言うのは簡単ですけど、本当にやるのであれば、かなえていく過程を見せないといけないじゃないですか。ドームに向けてとなったら、(いきなりではなく)その前に両国かなって」
とはいえ、両国も高いハードルであることは百も承知。両国大会を開催できる団体は限られている。しかも、いちレスラーの自主興行。そのうえ、女子となれば、前代未聞だ。
「それでも、ここを越えなければ女子一強にはなれないかなって。現在の女子(団体)で一番のビッグマッチって両国だと思ったので、両国でやろうかなと思いました」
今年4・26両国国技館での自主興行開催は、昨年9・2後楽園での自主興行で発表された。
「実は昨年1月(の自主興行の頃)から借りるために動き始めていて、発表は9月でしたけど、4月には決まっていたかと思います。両国での試合を夢見て試合をしている選手もいると思うし、お金があるからといってできるわけでもない。誰でもできる場所ではないですよね。それでもやるところを業界に見せたかったんですよ」
ウナギの自主興行には、なぜか不思議な吸引力がある。会場に入った途端、それがいつもの後楽園ホールとは違って見えるのだ。たとえば舞台セット。プロレスの聖地でありながら、いつもと違う雰囲気を醸し出す。お祭り気分にさせてくれるのだ。これもまた、ウナギ独自の発想によるものだ。
「私ってプロレスだけで生きてきたわけじゃなくて、舞台とかいろんな世界でやってきているので、べつに特別ではないんです。ただ、おもしろいことしたいだけ。でもそれが、いままでそういう使い方をした主催者がいなかったというか、かえって後楽園ホール側に火をつけたみたいなんですよね。『これはボクたちへの挑戦状だ!』みたいにスタッフが思ったようなんですよ(笑)」
ここから会場スタッフの応援を得るようになったというウナギ。ところが、2度目の自主興行後、メキシコ遠征で肋骨を骨折するアクシデントに見舞われた。ウナギは昨年10月18日から27日までメキシコシティーをはじめ各地を転戦。CMLL世界女子タッグ王座にも挑戦したなか、ビッグショーで負傷してしまう。
「アレナ・メヒコでの『グランプリ』という大会で肋骨をやってしまいました。そのときはヒビだったんですけど、次の試合の関節技でパキンと(苦笑)」