【ドラゴンゲート】スピード、ドラマ、熱狂!独自進化を遂げた“異端”の魅力 唯一無二のスタイルが築く新時代
日本プロレス界において独自の進化を遂げた団体がある。ドラゴンゲート――スピーディーな展開、華やかな演出、そしてファンとの距離の近さを武器に、設立以来、他団体とは一線を画すスタイルを貫いてきた。
その起源は1999年、ウルティモ・ドラゴンが旗揚げした闘龍門JAPANにさかのぼる。従来のプロレスが持つ「大型レスラーの肉弾戦」ではなく、メキシコ・ルチャリブレの流れをくむスピード感あふれる試合を特徴とし、瞬く間に人気を集めた。2004年にドラゴンゲートへと生まれ変わった後も、ジュニアヘビー級の枠を超えた軽快なムーブとエンターテイメント性を融合させ、唯一無二の路線を突き進んでいる。
その強みの一つが「ユニット抗争」である。選手たちは複数のユニットに属し、ストーリーが常に展開されることで観客を引き込む。ユニット間の対立や内部崩壊、裏切りといったドラマが次々と生まれ、ファンの興味を惹きつける。このスタイルが確立されたことで、選手のキャラクターが際立ち、誰が主役になっても団体としての魅力が損なわれることはない。
もう一つの特徴が、ファンとの距離の近さだ。試合後の物販では選手自らが接客し、交流を大切にする。SNSの活用も積極的で、選手の日常や舞台裏を発信することで、より親しみやすい関係を築いている。新日本プロレスが2010年代に「プ女子」ブームを巻き起こしたが、ドラゴンゲートはそれ以前から女性ファンの獲得に成功していた。その要因は、選手のビジュアルだけでなく、個々の魅力を前面に出したストーリー作りにある。
近年では世代交代も進んでいる。かつての中心選手であるYAMATO、B×Bハルク、吉野正人(現在は引退)らが築いた土台の上に、シュン・スカイウォーカー、Ben-K、ストロングマシーン・J、ドラゴン・ダイヤ、吉岡勇紀、箕浦康太、菊田円、望月ジュニアといった若手が台頭。団体のアイデンティティを守りながらも、時代に合わせた変化を遂げている。
また、地方興行にも力を入れており、全国各地で興行を開催。神戸を拠点としながらも、後楽園ホールや愛知県体育館、大阪府立体育会館といった大規模会場でのビッグマッチも定着している。2024年からは横浜武道館での大会もスタートし、新たな展開を見せている。
そして2024年12月17日、ドラゴンゲートの歴史を支えてきた選手の一人がリングを去った。このまま市川が「FANTASTIC GATE 2024」後楽園ホール大会で行われた「-復活!このまま市川 暴走十番勝負・完結編-」をもって26年に及ぶプロレス人生に幕を下ろした。
市川は闘龍門の2期生として1998年にデビュー。当時では異例の“弱さ”を前面に押し出すスタイルでストーカー市川として人気を博し、お笑いプロレスの第一人者として活躍した。高山善廣、曙、長州力、武藤敬司、大仁田厚、ザ・グレート・サスケらの大物とも対戦し、その独特なキャラクターで観客を魅了してきた。
引退試合では、同じ岐阜県出身の棚橋弘至(新日本プロレス)と対戦。挑発的な言葉を放ったものの、16秒で敗北。しかし納得できない市川は再試合を要求し、意地を見せた。最後は棚橋のハイフライフローを受けて力尽きた。
引退セレモニーでは、師匠ウルティモ・ドラゴンから花束が贈られ、「おまえこそホンモノの男だ」と称えられた。市川は「26年間、ありがとうございました。レスラーとしては引退しますが、市川寛二としてまたお会いすることもあると思います。そのときは笑顔でお会いしましょう」と感謝の言葉を述べた。
華やかな演出やスピーディーな展開を重視するスタイルは、時に従来のプロレス観とは異なると見られることもある。しかし、ドラゴンゲートはそれを独自の進化と捉え、誰もが楽しめるエンターテイメント性を追求している。
プロレスの世界は、多様なスタイルが共存することで発展してきた。ドラゴンゲートの存在は、そんなプロレスの懐の深さを示す一例といえる。今後も唯一無二のスタイルを貫きながら、新たな挑戦を続けるだろう。