里村明衣子vs鈴木みのる。最初で最後の一騎打ちに込められたメッセージ

【WEEKEND女子プロレス#58】

 4・29東京・後楽園ホールでの引退を控えるセンダイガールズ(仙女)の里村明衣子が、4月3日の東京・新宿FACE大会で鈴木みのるとシングルマッチをおこなった。「女子プロレス界の横綱」と言われる里村が、「プロレス王」鈴木と最初で最後の一騎打ち。試合は25分6秒、鈴木のゴッチ式パイルドライバーで里村が壮絶に散った。試合後の里村は、大の字で天井を仰ぎながら鈴木のマイクを聞いた。そこで、この闘いは鈴木からのリクエストで実現したことが明かされたのである。

 1995年、長与千種率いるGAEA JAPAN一期生としてデビューした里村。当時の時代背景からしても、もともと男子との対戦に興味があったわけではない。男子と女子による試合が組まれるようになってからも、当初はその考えが変わることは皆無だった。

「男子と対戦する意欲はあったか? いや、まったくなかったですね。むしろ、やるのが失礼と思っていました。そもそもGAEA所属のときって他団体との壁がとても厚かったですし、ましてや男子と女子の壁じたいがものすごく厚かったですよね。長与さんもそのあたりはすごくリスペクトしていましたし、まじわらないのが当たり前でした」


「写真提供:センダイガールズプロレスリング ペペ田中」

 が、里村に男子選手との対戦オファーが海外から飛び込んできた。最初は2011年、アメリカのチカラプロレスという、名称からして日本のプロレスをオマージュしたような団体からの出場要請だった。

「男女混合の6人タッグトーナメントに出てくれないかと言われたんですよ。すごく熱烈なオファーで、『アナタのようなレスラーがアメリカで(男女混合の)6人タッグに出たらすごいことになる』とも言われたんですけど、そのときは断りましたね」

同じ年、鈴木みのるから連絡が入った。当時の里村からしたら、まさに青天の霹靂。ミックスドマッチはGAEA在籍時代の終盤にあったというが、男子と女子が実際に対戦する形にはならなかった。あくまでも男子は男子、女子は女子で闘ったのだ。


「写真提供:新井宏」

鈴木からの電話は、東日本大震災チャリティー興業への参加依頼。その頃、仙女は震災の影響から活動休止状態で、東北地方を拠点とする仙女だからこそ、大会の趣旨に賛同できた。

「鈴木さんにはずっとお会いしてみたいと思っていたんですよ。そんな方から連絡いただいて、すごく感動しましたね」

大会は、11年6月25日に新宿FACEで実現した。里村は鈴木とタッグを組み、髙山善廣&栗原あゆみ組と対戦。男子との直接対決が事実上初めての試合で、里村は髙山の力と大きさに圧倒された。

「いやあ、すごかったです。まずは、私と髙山さんの身長差。私の目線が、髙山さんのお腹のちょっと上くらい。振り向いたところでビッグブーツが顔面に入って、それ一発で意識が遠のいたおぼえがあります」


「写真提供:新井宏」

 以後、鈴木とは14年6月のカナプロマニアでタッグを組み、華名(現アスカ=WWE)&丸藤正道組と対戦。17年1月の木村響子引退試合ではアジャコングを加えトリオを組むなどしたが、鈴木との対戦カードが組まれることはなかったのである。

 一方、里村はチカラプロのオファーを受諾し、12年9月、DASH・チサコ&仙台幸子とのチームでトーナメントにエントリー。現地プロモーターの言う通り、仙女勢の試合は大歓声を呼んだ。里村たちは準決勝でヤングバックスに敗れるまで、3試合のミックスドマッチを闘ったのだ。

 その後、里村はDDTでも男子レスラーと闘うようになった。15年8月には両国国技館で天龍源一郎と6人タッグで対戦。翌年にもチカラプロのトーナメントに参戦し、17年から海外での活動が増えると、18年3月には来日前のクリス・ブルックスからFCP王座を女子選手として初戴冠。マーク・デイビスに敗れるまで、大型の男子選手相手に4度の防衛を果たしてみせた。この年、日本ではKO-D無差別級王座をめぐり男色ディーノと対戦。現時点において同王座を獲得した唯一の女子選手で、橋本千紘&チサコとKO-D6人タッグ王座も獲得。女子だけのチームは、このときの里村組のみである。

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