飛龍革命記念日(4月22日)は色あせず 37年前に猪木を張り返した藤波辰爾の決意

“飛龍”藤波辰爾は昭和、平成、令和と時代をまたいで数々の名シーンをプロレス界に残してきた。
中でも、1988年4月22日、沖縄県那覇市・奥武山体育館での“飛龍革命”は、37年が過ぎてもなお語り継がれている。
当時の新日本プロレスはアントニオ猪木が不動のエース。すでに45歳になっていたが、まだまだ闘いの最前線に立ち、最強外国人選手、ビッグバン・ベイダーとのシングル2連戦も控えていた。
ポスト猪木と言われていた藤波は34歳。まさにレスラーとして全盛期を迎えている。それでも時の看板外国人レスラーを迎撃するのは猪木だった。
この日、猪木と組んでベイダー、マサ・斉藤組と激闘を展開した藤波は「ベイダーとシングルをやらせてください。俺らは何なんです。もう何年、続いているんだ」と体の芯から湧き上がる激情を思わず口にしている。72年の新日本プロレス旗揚げから新日マットの中心に立ち続ける猪木を、もちろん慕いリスペクトしていた。だからこそ加齢による衰えを時に感じさせた猪木の現状に、注文をつけるしかなかった。
もちろん、猪木が黙っているはずがない。「やれるのか、お前に」とビンタ。いつもの藤波なら師匠の迫力にひるんでいたかも知れないが、この時は違った。「やりますよー!」とばかり猪木のほほを張り返した。猪木のビンタよりも強烈な一発だった。猪木の顔面にも驚きの表情が浮かんでいる。
なおも藤波は救急箱からハサミを取り出し「やりますよ、やりますよ」と髪を切りだした。猪木と坂口征二が止めに入る。それでも前髪の一部が切り取られていた。
その場にいた木村健悟は後年「いやぁ、もうビックリしちゃって止めるに止められなかったね。えーって感じで。藤波さんがああいう行動するなんて。猪木さんもかなり驚いたんじゃないかなぁ」と,その時の衝撃を振り返っている。
猪木始め周囲にも新日本プロレスの未来を憂える藤波の真摯な考えは伝わった。4・27大阪決戦で藤波vsベイダー戦が実現した。
前髪が不揃いになってしまった藤波は4・22飛龍革命後、すぐに美容院でヘアスタイルを整えている。「何だかわからないうちに、髪の毛、切っていたんだ」とポツリ。坊主頭にはしなかったものの、それまでの藤波ではあまり考えられなかった、らしくもない行動で一皮むけたのは確かだった。
なかなか猪木を超えられない自分自身のふがいなさへの怒りもあったのだろう。レスラーが自身の内面からこみ上げる情熱に身を任せる姿にファンは魅了される。飛龍革命の藤波に、拳を握った猪木の鬼気迫る表情を重ね合わせた人も多かったはず。それが37年経っても、語り継がれる理由かも知れない。
©新日本プロレス
つい先日、海野翔太がリング上で自らバリカンで髪の毛をバッサリ刈る事件があった。その後、登場した海野は頭をきれいに丸めていた。
飛龍革命から37年後の海野の髪切り。なかなか結果を出せないままの海野だが、後々には令和の髪切り革命として語り継がれることを期待したいところ。
「写真提供:提供・小林和朋氏」
藤波は内藤哲也ら主力選手の離脱に見舞われた古巣にも「新日本はそういう団体だから」と動じない。猪木の「去る者は追わず」という生き方を継承しているのだろう。元より「猪木さんのことを語り継いでいかないと」と日ごろから繰り返している。
歴史の生き証人・藤波がプロレス界にできることは、まだまだたくさんある。
怪我や病気というわけではなく「燃えるものがなくなった」と欠場したり、引退を口にしたと思ったらすぐに撤回したりとファンをヤキモキさせた揺れる時期も何度かあったが、今でもリングに立ち続ける姿は素晴らしい。生涯現役を貫きながら、使命を全うしてほしい。(敬称略)
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