無名レスラーからスターダムの頂点へ! 引退した中野たむの苦労時代を振り返る

スターダムの4月27日、横浜アリーナ大会で一人のトップ女子プロレスラーがリングに別れを告げた。その人物は中野たむ。ワールド・オブ・スターダム王者・上谷沙弥との「完全決着敗者引退マッチ」で敗れた中野は惜しまれながら、8年10ヵ月に及ぶプロレスラー生活にピリオドを打つことになった。実にセンセーショナルな引退の仕方だった。
今では押しも押されぬ女子プロ界のトップスターの一人だった中野だが、そこにたどり着くまではひとかたならぬ苦労があった。本コラムではあまり知られていない中野の苦労した時代を振り返り、スターダムの頂点まで上りつめるまでの足跡を写真とともに取り上げたい。
中野は3歳のときから、ダンスを習い、高校時代は演劇部に所属。舞台芸術を学ぶため、東京の専門学校に進学。卒業後はパフォーマーとなり、ダンスや舞台で活動。2012年には「カタモミ女子」1期生として、アイドル活動を開始。その後、同ユニットのメンバー3人とともに、「info.m@te-インフォメイト-」を結成したが、2016年5月に活動を休止した。
そんな折、同月に行われたアクトレスガールズの舞台に振付兼演者として参加。そこで見た安納サオリvs万喜なつみ(現なつぽい)の試合を見て、「戦う女の子って、こんなに人の心を動かせるんだ」と感動。タイミングよく、同団体側からオファーを受けた中野は「今までより、もっと人に感動を与えたい」とプロレス入りを決意し、練習生となった。
同時期に同団体のアドバイザーに就任した堀田祐美子に、その素質を見いだされ、同7月12日の安納戦でスピードデビュー。同8月26日にディファ有明で開催されたファイヤープロレス旗揚げ戦の出場メンバーに、わずか2戦目で抜てきを受けた。
その後はそのセンスの良さを買われ、全日本プロレス、超戦闘プロレスFMWなど、他団体からのオファーが殺到。FMWでは“女版・大仁田厚”ことミス・モンゴルとの伝説の「かわいいvsブス」抗争で話題になった。プロレスラーとして、より上を目指すべく、2017年6月15日の新木場1stRING大会をもって、アクトレスガールズを退団。ラストマッチでは師匠の堀田祐美子と激闘を繰り広げた。
同24日、新木場では大仁田とのコラボ興行を開催。モンゴルとの遺恨決着戦として、大仁田、保坂秀樹、パンディータと組み、雷神矢口、モンゴル、NOSAWA論外、橋本友彦組と「ストリートファイト・エニウェア・バンクハウス・Big有刺鉄線ブラジャー争奪・棺桶電流爆破8人タッグデスマッチ」で対戦。
初めて“邪道”の領域に足を踏み入れた中野は、モンゴルから棺桶に入れられて爆破葬にされた。だが、中野は同7月15日、FMWの新木場大会で、モンゴルとの一騎打ち(ランバージャックデスマッチ)に臨み、セコンドのアシストも得て爆破マッチのリベンジを果たした。キャリアではるかに劣るモンゴルとの抗争で一矢報いたあたり、中野の根性が垣間見えた。