【追悼】テーブルを砕き己を削った人生 サブゥー逝去、リングに残した痛みと誇り

命を削り、魂を焦がした“狂気の美学”──サブゥーというレスラーの生き様

まるで試合開始のゴングと同時に導火線へ火を放つかのように、いつも“その時”が訪れるのを誰よりも待ちきれなかった。サブゥーとは、そういうレスラーであった。

“アラビアの怪人”ザ・シークの血を受け継ぎ、己の全身を凶器と化してリングに立ち続けた男。血縁者であり、師であるシークの名を汚さぬよう、むしろ越えてやろうとする意志を感じさせるような狂気のファイトスタイルだった。

1985年にデビューし、1991年にFMWで初来日。その瞬間、リングの空気が変わった。金網、有刺鉄線、テーブル、椅子――どれもがリング上の“仲間”であり“舞台装置”であった。狂気とも思える突き抜けた“命の賭け方”に、観る者はただ圧倒されるばかりであった。

サブゥーのファイトには「正しさ」など求めるのが野暮だった。技の美しさでも、受けの芸術性でもない。リング上に立つと、サブゥーはいつだって“終わりの始まり”を体現していた。イスを踏み台にして飛び、テーブルを破壊し、有刺鉄線に巻かれながらムーンサルトを決める。誰よりも痛みを背負い、誰よりも大きく跳んだ。

1990年代半ば、ECWという“禁断の園”でその存在は爆発的に広まった。テリー・ファンクとの壮絶な抗争、そしてシェーン・ダグラスから奪ったECW世界王座。観客は試合そのものよりも「サブゥーが何をしてしまうのか」に目を奪われていた。

その一方で、日本でも着実に“伝説”を刻んでいた。FMWでの初登場から始まり、1995年には新日本プロレスの福岡ドームで金本浩二を破りIWGPジュニア王座を戴冠。蝶野正洋との合体も一部のファンには熱狂的に支持され、「ハードコア×闇のカリスマ」という異色の化学反応を見せた。

だが、栄光の裏にあったのは、常に己の身体との闘いであった。有刺鉄線に飛び込み、ガラス片を浴び、金網に叩きつけられる毎日。サブゥーはその代償として、何度も手術台に上がった。だが決して口を割らなかった。「なぜそこまでやるのか」と問われても、「それがプロレスだ」と答えることすらしなかった。ただ、試合で語った。

2006年にはWWEと契約。ECWオリジナルズとして、再び主戦場をメジャーに移すも、団体の型にはまり切ることなく、わずか1年で契約終了。それでも、どこに行こうと“サブゥーはサブゥー”だった。

「自分のレスリングは“破壊”なんだ」と話したことがある。誰かを倒すことではない。自分の常識を、相手の覚悟を、そして会場の空気を破壊すること。それこそが、サブゥーのプロレスであった。

2024年4月、ラスベガスで引退試合を行ったばかりだった。闘いの記憶は鮮烈に残るまま、サブゥーはこの世を去った。享年60。まだ、早い。

団体という枠に収まらず、ジャンルの壁を打ち砕き、自らのスタイルを確立したレジェンド。その狂気と美学は、これからも世界中のハードコアレスラーに受け継がれていくことだろう。

「インディーの帝王」と呼ばれた男がいた。命を削りながら、“プロレス”という言葉の定義を変え続けた男。その名はサブゥー――。その名を、決して忘れてはならない。

魂の破片が、今もリングに転がっている。

<写真提供:伊藤ミチタカ氏>

Pages 1 2

◆プロレスTODAY(LINEで友達追加)
友だち追加