WWEレジェンド取材依頼からレスラーになりディアナ参戦を直訴したデビー・カイテル
イギリスEVEでのザ・ウォウク・クイーンズ(デビー・カイテル&ヴァルキリー=現ライラ・バルキュリア組) 撮影:新井宏
そこはファイトファクトリープロレスリングという団体のスクール(道場)だった。デビーはフィル・ボイド、女子のケイティ・ハービー、NOAHに参戦したLJ・クリアリーらから指導を受けた。とくにボイドは日本でもおなじみのプリンス・デヴィット(フィン・ベイラー)、ポール・トレイシーの教え子で、日本に渡ったデヴィットを継いでスクールを運営していたのだ。
トレーニング期間中に日本のプロレス、日本の女子プロレスも知ったデビー。全女の試合映像に刺激され、WWFでのブル中野vsアランドラ・ブレイズ(メデューサ)からも多大な影響を受けたという。
イギリスEVEでのザ・ウォウク・クイーンズ(デビー・カイテル&ヴァルキリー=現ライラ・バルキュリア組) 撮影:新井宏
そんなデビーのデビューは17年5月7日、北アイルランド・ベルファスト。その後はアイルランド、イギリスを中心に各地をまわった。18年11月にはスコットランド・グラスゴーにてフィアース・フィメールズ・インターネット王座を奪取し、シングル初戴冠。翌18年にはEVEのタッグ王座を奪取。このときのパートナーがヴァルキリー。現在WWEスーパースターとして活躍するライラ・ヴァルキュリアである。ライラは新設のWWE女子インターコンチネンタル初代王者で、先日の「レッスルマニア41」で約1年ぶりの復帰となるベッキー・リンチとともにWWE女子タッグ王座を獲得。翌日のロウで敗れ一日天下に終わってしまったものの、一時は2冠王になっていた。同郷のライラとは日本とアメリカに活動拠点が分かれたものの、いまでも連絡を取り合っている仲。タッグ王座戴冠後には「コングラチュレーションズ」のメッセージを送っていた。
イギリスEVEでのザ・ウォウク・クイーンズ(デビー・カイテル&ヴァルキリー=現ライラ・バルキュリア組) 撮影:新井宏
「ライラもベッキーも、アイルランド人として誇らしいわ!」と、デビーはパートナーの躍進を自分のことのように喜んだ。ライラとのザ・ウォウク・クイーンズは、コミカルなテイストも併せ持つヒールチーム。また、来日直前までアニタ・ヴォーンとのザ・ギャルズでEVEタッグ王座を保持しており、こちらはパワーファイターのヴォーンがデビーのボディーガード的存在。デビーがあこがれたチャイナがモチーフになっているらしい。
「デビューからずっと、ほとんどがヒール。それって私の裏の顔だと思うのね。小さい頃は内気で、違う自分になりたいと思ってた。その思いがプロレスで実現できているのかも」
イギリスEVEでのザ・ウォウク・クイーンズ(デビー・カイテル&ヴァルキリー=現ライラ・バルキュリア組) 撮影:新井宏
18年に我闘雲舞に参戦したデビーは、本格的に日本で試合がしたいと思い、ディアナにコンタクトをとった。それは、ディアナが井上京子の団体だからだ。
「ゼンジョ時代の映像を見て、キョーコさんのところでやってみたい、そのリングに立ちたい、キョーコさんと闘いたい。それが私にとって大きな夢になったの。コンタクトは難しかったけど、実現できてよかった」