”銀髪鬼”ブラッシーの命日が6月2日 日本中を恐怖に陥れた凶悪外国人レスラーとは

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

“銀髪鬼”フレッド・ブラッシーの命日が6月2日。2003年に85歳で亡くなった。

「嚙みつき魔」として知られ「吸血鬼」とも呼ばれた。1962年の初来日時には力道山ら日本プロレス勢にかみつき、グレート東郷を血だるまにしたテレビ中継を見た人がショック死する事件を引き起こしている。ショック死した人が10人越えと言われているが「俺は100人、殺してやるつもりだった」とうそぶいた。ヤスリで歯を磨くパフォーマンスも注目を集め、凶悪外国人レスラーの代名詞となった。

クローやネックブリーカー、もちろん噛みつきの反則プレーも駆使し、日本プロレスの看板シリーズ「ワールド・リーグ戦」などで大暴れ。インターナショナルタッグ王者・ジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲に挑戦もしている。


※1968年(昭和43年)日本プロレスに来日したブラッシー「写真提供:柴田惣一」

全日本プロレスや新日本プロレスにも参戦しており、昭和の日本プロレス界に欠かせない悪漢外国人選手だった。

日本だけでなく米国マット界も席巻している。全盛期のNWA各地で数々のタイトルを獲得。ロサンゼルスなど西海岸を押さえていた団体WWAの世界ヘビー級王座に君臨している。

現役引退後はマネジャーとしてもその名を馳せた。ニューヨークを始め東海岸を牛耳っていたWWWFでキラー・カーン、スタン・ハンセンやハルク・ホーガン、ニコリ・ボルコフら悪党レスラーにアドバイス。悪党としての立ち振る舞いを教えている。遠征してきたストロング小林の横でステッキを振り回していた。


「写真提供:柴田惣一」

リングでは悪の限りを尽くしたブラッシーだが、リングを離れれば人格者として知られていた。日本遠征中にミヤコ夫人を見初め結婚。仲睦まじい様子が日本のテレビで紹介されたこともある。ミヤコ夫人は力道山の敬子夫人とも交流。敬子夫人は「ブラッシーさんもミヤコさんも紳士であり淑女。公私に渡って主人も私もお世話になった」と明かしている。

ミヤコ夫人には電話インタビューしたことがある。日本語でお話しできてホッとしたことを覚えている。

日本びいきのブラッシーは藤波辰巳(現・辰爾)がニューヨークのMSG(マジソンスクエア・ガーデン)で、WWWFジュニアヘビー級王座を獲得した時もサポート。藤波は「ニューヨークでのベルト奪取があるからこそ、今の自分がある。感謝しかない」と振り返っている。


「写真提供:柴田惣一」

「ビッグマウス」で人気を集めたボクシング界のレジェンド、モハメド・アリにもトーク技術を教えた。猪木と異種格闘技戦でアリが闘った時には、ボクシングとプロレスの両陣営の間で立ち位置に苦労したと言われている。

そのプロ意識は徹底していた。力道山が亡くなった時にも、敬子夫人を気遣っていたのに、ファンの前では「地獄で決着をつけてやる。ヤツは天国にいる? いや、俺と同じ地獄にしかいけない。ヤツは墓の中でも『俺に勝った』とホラを吹いてやがる」と悪党になり切っていた。

世界プロレス史に選手としてマネジャーとして、燦然と輝く歴史を刻み込んでいるブラッシー。「銀髪鬼」「噛みつき魔」「吸血鬼」…これほど異名が似合うレジェンドはいない。(敬称略)

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