【SSPW】新間寿氏追悼興行で初代タイガーマスクが奇跡のリングイン!前田日明氏との“歴史的和解”「前田君と1時間くらい電話したんですけど、新しいプロレスラーを育てようということになりました」

プロレス界の「過激な仕掛人」として知られた故新間寿氏(享年90)の追悼興行が6月12日、ストロングスタイルプロレス『THE 20th ANNIVERSARY』THE 20th ANNIVERSARYー “過激な仕掛人”新間 寿 追悼興行ーとして後楽園ホールで開催された。
大会は新間氏への哀悼の意を込めて催され、多くの関係者、そしてファンがその功績を偲んだ。
昭和プロレスの「父」を偲ぶ
第4試合後に行われた追悼セレモニーでは、新間氏の遺族である陽子夫人と親族が参列。そして、この日の大会に出場した藤波辰爾、船木誠勝、ジャガー横田といった選手たちに加え、藤原喜明、前田日明氏、北沢幹之氏、中嶋勝彦らがゲストとして駆けつけ、故人を悼んだ。
また、遠く離れた地からスタン・ハンセンがVTRで追悼メッセージを寄せ、新間氏がプロレス界に残した足跡の大きさを改めて感じさせた。
会場に「タイガーマスク」のテーマソングが鳴り響くと、故新間氏が亡くなる前日に初代タイガーマスク・佐山聡へ送った「一緒に後楽園ホールのリングであいさつをしようと思う。待ってるぞ」というビデオメッセージの音声が流れた。
その直後、パーキンソン病との闘病を続ける初代タイガーマスクが、自身の足で花道を歩き、7か月ぶりにリングに上がった。満員の観衆からは、惜しみない拍手が送られた。
新プロジェクト始動か、前田日明氏との「歴史的和解」
マイクを握った初代タイガーマスクは、新間氏を「私たちの昭和のプロレスの父を失いました」と表現し、恩人への深い思いを吐露した。そして、リングに立つことができた背景には、新間氏の通夜での出来事があったことを明かした。「新間さんのお通夜の時に前田君が“佐山さん治りますよ”と声をかけてくれて。医者を紹介してくれて今日、ここに歩けるようになりました」と語ると、会場はさらに大きな拍手に包まれた。かつて確執があったとされる前田氏との「歴史的和解」が、初代タイガーマスクのリング復帰を後押しした形である。
初代タイガーマスクはさらに、驚くべき発表を行った。「このままいけば1年後には再デビューできそうです」と、現役復帰への強い意欲を示した。そして、「新間さんが僕らの姿を見て一番喜んでいると思います」と、リング上の藤波、前田、藤原らレジェンドたちを見渡しながら語った。
新たなプロレスラー育成へ、未来への誓い
初代タイガーマスクは、プロレス界の未来を見据えた新プロジェクトの構想を披露した。「前田君と1時間くらい電話したんですけど、新しいプロレスラーを育てようということになりました。ニューヨーク(WWE)に負けないような選手に育てたいと思います」と、世界的な団体WWEに匹敵するレスラーを育成する目標を掲げた。育成する選手像についても言及し、「敏捷性があって、力があって、藤原さんのように強そうで怖そうで酔っ払いそうな選手に育てていきます」と具体的なビジョンを語った。
最後に初代タイガーマスクは、「このセレモニーから新しいプロレスが始まります。みなさんよろしくお願いします」と締めくくり、新間氏のプロレスへの情熱と功績を受け継ぎ、新たな時代を切り拓くことを誓った。
試合後、控室にそろった3人。話題は自然と「次世代の育成」へと流れていった。
「前田くんがね、自分の若い頃のスピード感を思い出してくれって言うんですよ」と語るのは佐山だ。「それを聞いて、“昭和のプロレス”──実際の戦いをベースにした俊敏な動きのあるプロレスを、もう一度育ててみたいと思った」
きっかけは前田からのひと言だったという。「竹刀を使ってやりましょうと言ったんで」と佐山は笑う。かつてUWFや新日本のリングで“実戦性”を追求した2人が、再び手を組む可能性が浮上してきたのだ。
この構想について、前田も熱を込めて語る。
「時間をかけてね、ちゃんと自分らのころはメインイベントに出れるレスラーの方を作るのは5年かかったんですよ」
“強く、壊れない身体”。これこそが前田が語る「昭和レスラーの最低条件」だった。
「自分は18で入りましたけど。みんな打たれ強かったし、よもやの事故的な落ち方してもケガをしなかったし、痛めることはあってもケガはしなかったしね。だからいまのプロレスを見てるとそういう体ができてないにも関わらず、自分たちの時代のレスラーのイメージで自分が受けれないことを相手におこなって、相手を壊すって言うのを。まず時間をかけて選手をビシッと、レスラーの体にしてリングに立ちたい」
その熱意に、佐山も静かにうなずいた。
そんな2人を、隣で見守っていた藤原喜明は「俺は先ないんで。まあ2人のあれを見守るだけだよ」と一言。組長らしい、ぶっきらぼうながらも温かみのある言葉に場が和んだ。
すると、すかさず佐山が「酒は禁止です」と笑顔でピシャリ。過去の武勇伝も今は昔。未来を見据える姿勢に、どこか清々しさが漂う。
前田は故・新間寿氏への思いを語る。
「新間さんのお通夜に行ったんですよね。新間さんのご長男のツネくんが佐山さんたちと、佐山さんがお待ちのところで待ってくださいと言われて、ワー佐山さんかと思って。変ななんか、ちょっとお通夜だからなどうしたらいいかなと思って。パッと開けたら佐山さんの隣に新間さんが立ってたんですよ。ビックリして、一瞬あってなったけど」
幻想か、錯覚か。それでも前田の心には、ある“記憶”が鮮烈によみがえった。
「去年自分がやったイベントに新間さんが出てくれて、一番最後にオマエ佐山と仲良くできないんかって、仕事できないんか、俺は会食の場を設けるからちょっとなんとかしてくれよと言って言われたの思い出して。それだったらそういうことなんだなと思って」
遺された言葉。背中を押されたように、2人のベクトルがいま再び重なろうとしている。
記者からの共同でレスラー育成を尋ねられると前田は「それができたら最高ですね」と答えた。
昭和から令和へ。“実戦”を知る者たちが、新たなレスラー像を描き始めた。
故新間氏の追悼興行は、単なる追悼の場に留まらず、プロレス界の過去と現在、そして未来を結びつける象徴的な一日となった。
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