【SSPW】“ストロングスタイルの真髄”を見せた船木誠勝が新崎人生を撃破!亡き新間寿氏へ捧ぐ王座初防衛「自分は死ぬまでストロングスタイルです」

初代タイガーマスク率いるストロングスタイルプロレス(SSPW)が6月12日、東京・後楽園ホールで開催した大会は、団体創設の精神的支柱であり“過激な仕掛人”として知られた新間寿氏を偲ぶ追悼興行として行われた。そのメインイベントでは、レジェンド王座の防衛戦が組まれ、王者・船木誠勝が新崎人生を下し、初防衛に成功した。
両者ともに30年以上のキャリアを誇るベテラン同士の一騎打ちは、時代の異なる2つの団体、パンクラスの船木と、みちのくプロレスの新崎という対照的な背景を持つ選手がリングで交差する形となった。
パンクラス創世記をともに駆け抜けた高橋義生と山田学が船木のセコンドにつき、対する新崎の側にはザ・グレート・サスケとディック東郷が顔を揃えた。
これは奇しくも1990年代のプロレス界を支えたパンクラスとみちのくプロレスの“同窓会”的様相も帯びていた。
試合序盤、船木は寝技と関節技を軸に試合の主導権を握ろうとし、一方の新崎は重厚な攻撃と拝み渡りによって観客の声援を引き寄せた。
何度も試みられた拝み渡りに対し、船木は徹底的に阻止の姿勢を貫いた。
試合後、「最後、わざと登らせました。降りてくるところを狙ってました」と明かした通り、勝負所は見極められていた。
終盤、船木は一瞬の隙を突いて腕ひしぎ十字から三角絞めへと移行。
体勢を固定したまま腕固めに転じると、レフェリーストップとなり試合は決着を迎えた。14分11秒、戦いの幕は閉じた。
勝利後、マイクを手にした船木は、リング上から天に語りかけた。
「新間さん、自分は死ぬまでストロングスタイルです。これからもよろしくお願いします」
ストロングスタイルという言葉は、ただの信念ではない。プロレスという表現を通して己の生き様を貫いてきた船木にとって、それは命を懸けて守るべき理念である。バックステージでもその思いは変わらなかった。
「今日30歳くらいの感覚で試合できた」と語った船木は、セコンドについた仲間たちの存在に触れ、「あの頃の自分に戻ったような気がする」と顔をほころばせた。その上で、「若い選手、どんどん来てほしい」とも口にした。“死ぬまでストロングスタイル”を掲げる者として、その精神を後進に伝えていく覚悟の表れである。
さらに、今回の大会が追悼興行という特別な意味を持つことにも触れた。
「託されたなと思います。ストロングスタイルしかやってきてない。そういう意味では、自分を目指してくれる若い選手が来てくれれば、それをしっかり受け止めます」
新間寿氏の存在がなければ、アントニオ猪木という人物も今の形にはならなかった──。そう語る船木にとって、この夜の勝利は単なる防衛成功にとどまらず、自らのルーツに対する敬意と感謝の表現でもあった。
「新間さんがいなかったら、自分はプロレスに入ってなかったかもしれない。苦しかったあの頃があったから、今がある」
その言葉には、過去を振り返りながらも前を向く強さがにじんでいた。佐山聡、藤波辰爾、前田日明ら往年の名選手が集ったこの夜は、追悼の場であると同時に、プロレスという文化がつないできた縁を再確認する機会ともなった。
「亡くなった先輩が“仲良くやれよ”と言ってくれてるんじゃないかと思うんです」
船木の言葉のひとつひとつには、プロレスの歴史と、リングに立つ者としての責任感が込められていた。時代を越えてもなお変わらぬ信念。“ストロングスタイル”という言葉を胸に刻む者の矜持が、この夜の勝利にはあった。
次の防衛戦は9月に予定されている。新たな挑戦者を迎え、再びリングに立つそのときまで、船木誠勝は“自分だけのスタイル”を貫き続ける。
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