リングに宿る緑の記憶! 6月13日、我々は三沢光晴を語り継ぐ

ゴングの音が、今も耳の奥で鳴り響いている。

2025年6月13日。プロレスを愛する者にとって、この日付は単なるカレンダーの一コマではない。16年前、広島の地で起こった、あまりにも残酷で、そして永遠に解けることのない問いを突きつけられた日である。不世出の天才レスラー三沢光晴が緑のマットに散った、あの運命の日から16回目の夏が巡ってきたのだ。

時は流れた。しかし、我々の心に刻まれたあの衝撃と、胸を締め付けるような喪失感は、いささかも色褪せることはない。なぜなら、三沢光晴というレスラーがリングの上で見せ続けた戦いは、我々の魂そのものを揺さぶる、あまりにも純粋で、あまりにも激しい「何か」であったからだ。

その「何か」の正体を語る時、我々は90年代の全日本プロレスのリングへとタイムスリップせねばならない。ジャイアント馬場が築き上げた「王道」という名の城。その中で、一人の若武者が虎のマスクを脱ぎ捨て、素顔の天才として覚醒した瞬間から、プロレスの歴史は新たな胎動を始めたのである。

三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太。後に「四天王」と呼ばれることになるこの四人の男たちが繰り広げた戦いは、もはや試合という言葉では表現できない領域にまで達していた。あれは、魂と魂がゴツン、ゴツンと音を立ててぶつかり合う、壮絶なまでの削り合いであった。

脳天から垂直に突き刺さるデンジャラスな技の応酬。何度マットに沈められても、ゾンビのように立ち上がり、相手に向かっていく闘志。レフェリーの手がマットを叩く寸前、コンマ数秒で肩を上げる2.99の攻防。観る者のアドレナリンを沸騰させ、息をすることすら忘れさせる、あの空間は一体何だったのか。

それは、馬場から受け継いだ「王道プロレス」という名の襷を、自分たちの世代で極限まで高め、未来へと繋ごうとした求道者たちの、命を燃やす儀式であったのだ。そして、その中心にいたのが、類まれなる身体能力と、何よりも「受け身の天才」と称された三沢光晴であった。

どんな危険な技も受けきった上で、相手のすべてを飲み込み、最後には勝利する。その姿は、まさしく王道の体現者そのものであった。あの時代の日本武道館は、世界で最も熱く、そして最も神聖なプロレスの聖地であったのだ。

やがて時代は動き、三沢は「自由」と「理想」を掲げ、緑の方舟「プロレスリング・ノア」を旗揚げする。これは、安定した地位を捨ててでも、自らが信じるプロレスを追求しようという、大きな賭けであった。社長として、そして絶対的エースとして、団体のすべてをその双肩に背負う日々。かつて四天王の一人として、ただ目の前の敵と戦うことだけに集中できた時代とは違う、見えざる重圧との戦いでもあっただろう。

それでも三沢光晴は、リングに立ち続けた。なぜか。それは、リングの上でしか生きられない、根っからのプロレスラーであったからに他ならない。ファンとの無言の約束、信じてついてきてくれた仲間たちへの責任感、そして何よりも、プロレスを愛してやまない自身の魂が、そうさせたのである。その背中は、時にあまりにも大きく、そしてどこか切なく見えた。

だからこそ、あの日の悲劇は、我々にとって受け入れがたい現実であった。方舟の羅針盤であり、太陽であった存在の、あまりにも突然の喪失。プロレス界全体が、深い悲しみと途方もない絶望感に包まれた。

しかし、物語はそこで終わりではなかったのだ。三沢の魂は、決して消えてはいなかった。

潮崎豪、丸藤正道といった、その薫陶を受けたレスラーたちが、師の遺志を継ぎ、その緑の魂をリングの上で燃やし続けている。彼らが放つエルボーの一発一発に、我々は三沢光晴の閃光を見る。どんなに追い込まれても、決して諦めないその眼差しに、我々は三沢光晴の不屈の闘志を見るのだ。

これは、単なる団体の存続ではない。三沢光晴が命を懸けて証明した「プロレスの凄み」と「人間の強さ」という、最も根源的な魂の継承なのである。

16年の歳月が流れ、プロレスの形は変わったかもしれない。しかし、三沢光晴という名が我々の心から消えることは断じてない。それは、我々がリングに求める興奮、感動、そして明日への活力、そのすべてを、その戦いの中で見せてくれたからだ。

6月13日。この日は、ただ悲しみに暮れる日ではない。我々が愛した不世出の天才レスラー三沢光晴の凄さを、その生き様を、改めて語り継ぐべき日なのである。その魂は、プロレスを愛する全ての者の胸の中に、そして未来永劫、リングの上に生き続ける。

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