「邪道が語る“死と再生”の記憶」大仁田厚、大阪で語られたFMW創設秘話“血と涙”のプロレス伝説

6月14日(土)、大仁田厚が大阪産業創造館で、日中夢楽観光旗揚げ3周年記念講演「邪の道は大仁田」に登場し、カメラマンの原悦生、プロレス記者の橋爪哲也とトークを繰り広げた。

冒頭で「大阪といえば、大阪府立で勝って、道頓堀に飛び込んだ時は、死んじまうかもしれないと思ったよ。」

と笑いを取りながら、1992年12月7日、大阪府立体育会館で、大仁田厚、グレゴリー・ベリチェフ組VSターザン後藤、ビッグ・タイトン組戦を振り返った大仁田。

原が「一番撮ってて楽しかったのはアントニオ猪木。だけど写真集まで出したくらい、大仁田厚は魅力的だった」と話し、さらに、「あの当時の大仁田に、『原さんが言うように、もっと過激を追求したら、俺、死んじゃいますよ』と言われた」と秘話を披露した。

さらに先日逝去した新間寿さんの話に及ぶと、橋爪は「新間さんは、マスコミと子どものファンを大切にする人だった」と語り、故人を偲んだ。

大仁田は「コロナ禍で旅行会社を設立した上松ちゃんは、バカだと思った。だけど、この男がいなければ、初期のFMWは外国人選手を呼べなかった」と、FMW黎明期にターザン後藤さんの帰国航空券の手配から、陰ながら大仁田を支えた、日中夢楽観光株式会社の上松成人代表取締役との思い出を振り返りつつ、「上松さんが航空券の請求書を送ってくるんだけど、半年間支払いができなかった。けれど上松さんは俺を、FMWを信じてくれた。FMWが金がなく、5万円でどん底から作り上げたそのプロセスを間近で知ってる男だから、コロナ禍を乗り越えられたんだと思う」と懐かしさをにじませた。

原、橋爪の両者は、「大仁田と猪木さんの間には、共通点がある」とし、更にはミル・マスカラス、ドス・カラス、ブルーザー・ブロディなど外国人選手の名前も多数飛び出し、集まった満員のプロレスファンを魅了するトークを披露した。

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