“死んでもいい覚悟を超えて”デスペラードが葛西純との一戦に見せた涙と誓い「10年後、もう一回シングルマッチやりましょう!」

これは狂気ではなく、覚悟である。
これは破壊ではなく、昇華である。
2025年6月24日、東京・後楽園ホール。
“DEATH PAIN”と銘打たれたこの夜、新日本プロレスのリングに、かつて誰も見たことのない光景が広がった。主役は、現IWGPジュニア王者のエル・デスペラード。そして、“デスマッチのカリスマ”葛西純。この二人が織りなす一夜限りの血塗られた交響曲は、戦いを超えて“生き様”を映し出した。
試合前、葛西がバラの花を携えた蛍光灯ボードを設置し、デスペラードは十字架の有刺鉄線ボードを手に現れた。プロレスの神聖なる四角いリングが、まるで処刑台に姿を変えた瞬間であった。
試合開始直後、葛西は問いかけた。
「デスペ!ラストシングルだぜ、こんなおとなしくていいのか?」
この言葉が全てだった。リング上の二人には“ベルト”や“勝敗”以上の意味が込められていた。それは“信頼”であり、“遺言”でもあった。
葛西の狂気じみた攻撃、十字架への叩きつけ、ガラスボードへの自爆、そして血まみれのヘッドバット。デスペラードは痛みに顔を歪めながらも、蛍光灯を頭で割り返し、何度も立ち上がった。
両者の流した血の量だけ、場内の空気が震えた。もはや勝負ではない。どちらが“生き様”を貫き通せるか――それだけが問われていた。
葛西はラダーから「刺激をくれ!」と絶叫し、デスペラードは「くれてやるよ!」と応じた。凄絶なラダー上での攻防は、プロレスというジャンルの限界を超えて、魂と魂が殴り合う瞬間だった。
試合終盤、最後の垂直落下式リバースタイガードライバー。そしてピンチェ・ロコで3カウントを奪った瞬間、場内に“悲鳴のような拍手”が起こった。
試合は終わった。しかし、物語はここからだった。
大の字に倒れる葛西に、デスペラードは座礼。勝者の礼儀ではない。敬意と友情の証だった。
場内には「デスペ」コール。勝ち名乗りを受けたデスペラードは涙をこらえながら、マイクを取った。
「これが死んでもいい覚悟を捨てて、強くなったエル・デスペラードです!」
そして吐露した。
「いろんなところでしゃべってきたけど、自分はやっぱりマインドが弱くて、けっこう人と比べて、やっぱり、帰ってきてからすぐ、ヒロムがビッグオーバーして、自分、何やってるんだろうって。比べたってしょうがねえかもしれねえけど、このリングで戦ってる以上、ベルト取るとか、いいところで勝つとか、大事な試合組まれるとかって、スゲー大事で。自分には、それがずっとなくて。でも、なんでアイツばっかりって、そういうことは思ってなかったです。でもやっぱり、俺じゃダメなんだなって、勝手にあきらめてて。葛西さんとやらせていただくとき、初めてのシングルの時は、アゴがブチ折れて、それで『 SUPER Jr.』出れなくなっても、まあどうせ、俺いま、出たところで決勝も行かねえし、なんかスゲー相手に勝つこともねえし、出たってしょうがねえかな、みてえな考えがあって。代々木第二でやったときは、精神ボロボロで、終わったらもうメシ食わなくて、このまま死んでもいいやって、冗談抜きで思ってたんです」
自分の弱さ、人と比べてしまう心、あきらめ、劣等感。
「でも、あんときに生きたくても生きれないヤツらがごまんといる中で、プロレスできてるって、スゲー幸せなんだって、死んでもいい覚悟なんか捨てろって、そう言われてから、今日、タイトルマッチで葛西さん相手に防衛するまでになりました!」
その言葉に、場内から万雷の拍手と歓声が沸き起こる。
そしてマイクを受け取った葛西が叫んだ。
「デスペ氏よ、オマエだけじゃねえぜ。年齢もキャリアも、オマエのほうがずいぶんと下だけどよ、俺っちはよ、オマエみたいな強くて、男気のある男になりたいと思って、30、40すぎて、50手前になっても、今日よりも明日強くなりたいと思って!オマエと出会えたから、今日、ここまで来れました!」
「デスペ氏、オマエにはよ、いい意味で人生狂わされちまったよ!今日がラストシングル、終わっちまったな!今日という日が待ち遠しくて、今日という日が来なければいいなと思って。でも、終わっちまったな!」
涙ながらに叫ぶ葛西の姿に、客席からすすり泣きの声が響く。
「俺っちはよ、オマエと出会ってから、強くなりてえと思って、ずっと生きてきたんだよ!オマエとサシでもう、やりあえないって、明日から心の中にポッカリ穴が空いて、強くなる気も失せて、どうやって生きていったらいいんだよ!デスペ氏、最初で最後の、俺っちのワガママ、聞いてもらっていいか?葛西純の全盛期は10年後だ!オマエの10年後、今日よりも、もっともっとオマエも強くなってるだろ?」
葛西は封筒を取り出し、「2035年・後楽園ホール大会」の招待状を掲げる。
「デスペ氏よ、これが何だかわかるか?『”DEATH PAIN”invi Ⅱ』!2035年、後楽園ホール大会の招待状だー!それまでシングルは封印だ!受け取れ!」
デスペラードは笑みをこぼしながら、それを受け取り、再びマイクを握る。
「おかしいな。防衛したのは俺なのに、すごく負けた気がします。10年後!もう一回、シングルマッチ、やりましょう!でも、せっかく10年も寝かすんだし、こんなカッコいいもんもらってるんだしさ、会場にいるお客さんたち、コレ、アンタたちももらったと思ってくれよ。10年後、ここだぞ!解説、アンタたちもだ!途中で引退とかしないでよ。スタッフもー!全員揃えて。」
「じゃあ、10年後、またお会いしましょう!」
その言葉に応えるように、リングは大きな拍手と「デスペ」コールに包まれた。
最後にデスペラードは、葛西からバラを受け取り、ふたりは熱い握手と抱擁を交わす。葛西が熱烈なキスで別れを告げ、リングを後にすると、デスペラードは四方にベルトを掲げ、最後に自ら蛍光灯を頭に打ちつけてから、誇らしげに歩き去った。
血と涙と拍手が交錯したこの一夜。
それは、デスマッチという名の“生”であり、“祈り”であり、“信頼”であった。
この夜の記憶は、10年後も語り継がれるだろう。
バラは枯れず、デスマッチは“希望”を咲かせた。
プロレスという名の人生讃歌が、確かにこの夜、咲いていた。
<写真提供:新日本プロレス>