猪木を苦しめ「爆破王」大仁田に爆破マッチで初黒星をつけた「狂虎」シンの意外な姿

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

「狂虎」タイガー・ジェット・シンといえば、アントニオ猪木の仇敵として知られているが、「爆破王」大仁田厚に電流爆破マッチで初黒星をつけた男でもある。

シンと大仁田は1992年6月30日、FMW岐阜・関ケ原大会で「ノーピープル・ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」で激突。台風の接近で関ケ原古戦場は豪雨に見舞われていた。それでも天下分け目の関ケ原の合戦から392年、闘いは決行された。

乱入してきたザ・シークのサポートもあり、シンは大仁田を5回、爆破させた上で勝利を飾っている。

デスマッチでもその実力を発揮したシン。実はインド・レスリング界の英雄グレート・ガマ流の正統派レスリングに長けていた。


「写真提供:小林和朋氏」

カナダマットで活躍していたが、1973年に新日本プロレスに初来日。狂乱ファイトで暴れまくり、新宿・伊勢丹前で買い物帰りの猪木を襲撃するなど、狂気に満ち満ちた行動で恐れられた。

サーベルを駆使して猪木とインパクトある死闘を繰り返し、全日本プロレスに戦場を移した後、FMWなど多くの団体にも参戦。日本マット界でも指折りの凶悪外国人レスラーとして、その名を刻んでいる。

ほとんどの外国人選手がリングでの凶悪ファイトと普段は一線を画していたが、シンはプロ意識に徹していた。

スポーツ新聞社に入社後の初仕事はシンの来日取材。成田空港の到着ロビーで勇んで待ち構えていた。「ハウドゥユードゥー」と差し出した手はむなしく宙をさまよい、シンに蹴り飛ばされた。

「大丈夫ですか」と心配してくれる通りすがりの人の声と、「ハタハタ」と遠ざかっていくシンの怒号が重なる。同行した先輩記者とカメラマンの失笑に我を取り戻した43年前の春だった。


「写真提供:柴田惣一」

少しは顔を覚えてくれたと思い始めたころの千葉公園体育館だった。会社に電話し、その日の原稿の打ち合わせをしていた。開場前の会場には誰もいない。

「ハタハタ」とシンの呼吸音が聞こえてきた。気づかないふりをして会話を続けていた。無人である。タカをくくっていた。

その時、首筋にサーベルが食い込んできた。シンは誰も見ていなくても狂虎だった。プロの矜持を身をもって教わった。

なかなか認めてもらえなかったが、インタビューは許してくれた。ただし「もう言うことはない」と最後は追い出されるのが常だった。


「写真提供:柴田惣一」

会場ではファンを恐怖のどん底に叩き落とした。シンが入場して来ると、たちまち空気が一変。逃げまどうファンに「お気をつけ下さい!お気をつけ下さい!」というリングアナの注意喚起の絶叫。阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

やっとリングインしたかと思いきや、リングコールの途中でリングアナを襲撃するシン。通常は対戦相手の名前をコールしている時に襲うものだが、自分の名前をコールされている時にリングアナに殴りかかるのは珍しい。シンぐらいではないか。

「タイガー・ジェット」までしかコールできないリングアナ。「あと2文字なんだから待ってよと思ったね。シンが来日するシリーズはリング危険手当てを倍にしてほしいよ」とコボしていた。


「写真提供:柴田惣一」

凶悪ファイターそのものだったが、地元カナダでは実業家として知られている。シンの名前のついた学校や通りもある。名士として尊敬されている。

その姿をチラリと見せてくれたのは十数年前。茨城・つくば市のシンの親類が営むカレー屋でご一緒した時だ。神に感謝し会食開始。拙い英語にも真摯に耳を傾けてくれた。紳士的なシン。文字通り夢のような時間だった。

ただし「記念写真を」とお願いすると、恐ろしい形相になり首を絞められてしまった。

現在もお元気で地元の人たちのために活動している。「息子と日本で暴れたい」というメールもいただいたが、実現はしていない。

今でも「ハタハタ。ハタリハタマタ」という狂虎の恐怖の怒号が聞こえてくるようだ。(敬称略)

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