“和”にこだわる東京女子・宮本もか。インターナショナルのベルトで日本のプロレス文化を世界に伝える!

【WEEKEND女子プロレス#70】

 東京女子プロレスの“大和撫子ファイター”宮本もかは、そのニックネームが示す通り、“和”をモチーフとしたプロレスラーである。現在26歳の彼女は同世代が多い東京女子プロレスにあって、唯一無二の個性を放っている。和風を基調としたスタイルは、プロレス向けにつくられたキャラクターでもなんでもなく、彼女の考え方やこれまでの人生のテイストが反映されているのである。

「母方の家族にプロレス好きが多くて、とくにひいおばあちゃんの家に行くたびに、ひいおばあちゃんの部屋で一緒にプロレスを見ていました。私が小学生で、弟が幼稚園のときですね。それがプロレスとの出会いでした」

 入口は男子のプロレス。ひいおばあちゃんに会いにいくときのプロレス観戦が“恒例行事”となり、それを機にプロレスに興味を持った。とはいえ、自発的に見るようになったのは、大学生になってからだ。

「ある日、後楽園ホールに観戦に行ったんですね。新日本プロレスでした。誘われたのか何なのか、なにがきっかけで出かけたのかは、なぜかおぼえていないんですけど(笑)。そこから本格的にハマってしまって、何度も見に行くようになりました。もともと空手をやっていたこともあり、特に怖いとかいうこともなく、闘いというものに抵抗はなかったです」

 空手を始めたのは小学1年生のときで、プロレスを知る以前のことだった。それは完全に偶然の産物だったという。

「引越しをして、いい機会だからなにか習い事をしようとなったんですね。ちょうど家の近所に新しい空手道場がオープンするとのことで、母と一緒に体験に行ったんです。それがきっかけで空手を始めました。その道場の初期メンですね(笑)。空手を選んだのは、たまたまです。もしもピアノ教室がオープンだったら? そうですね、もしかしたらピアノをやっていたかもしれません(笑)」

 その空手は、中学受験を控え一旦休止。学習塾のスケジュールと被ってしまったためだ。が、中学3年のとき、同じ道場で復活した。

「忘れてしまったので、基礎からやり直しました」と、宮本。その後、初段を取得し、大学進学後は興味のあった日本文化を専攻した。

そして3年生のときに、東京女子プロレスに入門。ではなぜ、プロレスラーになろうと思ったのだろうか。

「20歳で(東京女子の)練習生になりました。ちょうど就職活動を始める時期で、いろんな就活イベントに学校から参加させられていたんですよ。そんなときにふと考えたのが、このまま普通に就職していいのかなって…」

 大学を卒業し就職というお決まりのレールに乗ることに疑問を感じた。自分が好きなこと、やりたいことってなんだろう? そう考えたときに頭に浮かんだのがプロレスだった。

「当時、ABEMAで東京女子プロレスを見ていたんですね。カッコいいなと思いながら見ていたんですけど、就職活動のタイミングで私は練習生募集に応募してみたんです。そのときはちょうどオーディションがなかったので、ふつうにメールを送りました。その後、トントン拍子に話が進んで、練習生になれたんです」

就職活動はやめて、在学中ながらプロレスラーになる道を選んだ。しばらくは、大学卒業とプロレスラーデビューをめざし、授業と練習のダブルヘッダーだ。

「練習は難しかったというか、大変でした。まず、ロープワークからして難しかったです。空手の経験はありましたけど、空手にロープはないので(笑)。ロープに走れば痛いし、マットは跳ねるし。空手は足場のしっかりしているところで闘いますけど、プロレスはバウンドするリング。これにはかなり戸惑いましたね。空手とプロレスは、全然違いました」

 しかも、デビューをめざすなかで世界は新型コロナウイルス禍に。レスラー、練習生たちは明日の見えない不安な日々を過ごしていた。

「緊急事態宣言が出て、道場に行くことも禁止。そもそも集まることじたいがダメで、みんなと一緒に練習することができない時期もありました。その頃はコーチから毎日ウェートメニューを教えてもらい、その動画を送ってフォームが正しいかどうか、チェックしてもらっていましたね。ふつうの練習はできないけど、家でできることをやろうと。その頃はとにかく、これがいつ収束するのか誰もわからなかったのが怖かったです。一度はデビュー戦が決まりながらも、直前で大会が中止にもなりました。デビューできないまま、イベントのない世界になってしまうんじゃないか。それが一番怖かったです」

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