全米にその名を轟かせた“東洋の巨人”ジャイアント馬場『遙かなる王道プロレス!』

BI砲、永遠のライバルが創りし黄金時代】

日本のプロレス史を語る上で、決して避けては通れない存在。それが、永遠のライバル、アントニオ猪木である。若き日、力道山亡き後のプロレス界を共に牽引した「BI砲」。インターナショナル・タッグ王座を4度にわたって戴冠し、無類の強さを誇ったこのコンビは、やがて袂を分かち、馬場は「全日本プロレス」、猪木は「新日本プロレス」という、二つの巨大な城を築き上げた。

この瞬間から、日本のプロレスファンは、この上なく幸福で、そして刺激的な時代を迎えることになった。「馬場か、猪木か」「全日本か、新日本か」。ファンは二つの団体を比較し、それぞれの魅力を語り合い、熱く論争を繰り広げた。

馬場の「王道」が、ザ・ファンクスやハーリー・レイスといった世界の強豪を招聘し、華やかでスケールの大きいプロレスを重視したとすれば、猪木の「ストロングスタイル」は、異種格闘技戦に象徴される、過激でシリアスな「闘い」の側面を追求した。

この明確な対立軸こそが、互いを刺激し、高め合い、70年代から80年代にかけての日本プロレス界を、空前の黄金時代へと導いたのである。もし、馬場か猪木のどちらか一方しか存在しなかったら、日本のプロレスがこれほどの熱狂と多様性を生み出すことはなかっただろう。

二人は、リングの上で拳を交えることはなくとも、互いの存在を常に意識し、競い合うことで、日本のプロレスを世界の中心へと押し上げた、最高のパートナーであったのだ。歩んだ道は「王道」と「覇道」に分かれた。しかし、プロレスを心から愛し、その発展に生涯を捧げたという一点において、二人は同じ頂を目指した、偉大なる登山家であった。

ジャイアント馬場という大きな山は、今も我々の心の中に、雄大に、そして優しくそびえ立っている。天国のリングサイドで、葉巻を片手に、今のプロレス界をどんな顔で眺めているだろうか。「まあ、若い連中ががんばってるじゃないか」そんな声が、風に乗って聞こえてくるようだ。その大きな掌の上で、日本のプロレスは生まれ、育ち、そして未来へと続いていく。その偉大なる功績に、改めて最大の敬意と感謝を捧げたい。

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