【SSPW】黒潮、師匠との王座戦で“封印”されしストロングスタイルを解禁か「船木さんの教えは見事に出してないだけ」
レジェンド王者・船木誠勝に挑む黒潮TOKYOジャパンインタビュー「WRESTLE-1で幻に終わった試練の七番勝負最終戦。俺がストロングスタイルプロレスのベルトを巻いたら何が起こるのか」
初代タイガーマスクストロングスタイルプロレス 9・11 後楽園ホール大会
9.11『ストロングスタイルプロレス』後楽園ホール大会で、防衛戦を行う第20代レジェンド王者・船木誠勝の挑戦者はWRESTLE-1時代の弟子である黒潮TOKYOジャパン(旧 黒潮“イケメン”二郎)に決まった。
WWEを経て日本マットに戻り、現在は自身の団体『アップタウン』を率いる黒潮が語る師弟の秘話と今後の野望。ストロングスタイルプロレスに“スタイルストロング”黒潮が殴り込みを掛ける。

――はや9月となり暑さは続きますが、黒潮選手にはどんな夏でしたか?
黒潮 もうプロレスしかない感じです(笑)。普段から基本的には飲んで試合して、飲んで試合して、みたいな生活で「今年の夏は何もないな」と思っていたところに船木さんとの大勝負が来たので、「お、これで夏が終われるな」って、そういう感じです。
――「何もない」と言われる中でも、『アップタウン』は初の大阪大会(8月30日)も盛況でしたし、充実していたのではないですか?
黒潮 団体経営は初めてなので、大阪大会も新宿FACEと同じような感覚でやったんですけど、選手の移動費とかホテル代、そういうのを具体的に計算していなくて。興行自体は超満員だったんですけど、終わってみたら収支はプラマイゼロみたいな(苦笑)。赤でもないし黒でもないけど、「あれ、これちょっとやり方を考えないとな」って、地方大会の難しさが勉強になりました。

――ですが、大会が盛り上がったことが次回以降へのよいプロモーションになったのではないかと思います。
黒潮 雰囲気よく終わって、最初はそんなつもりもなかったんですけど、最近は団体を大きくして盛り上げたいなっていう気持ちが生まれてきました。会社化してちゃんとしようと思うし、若い子の育成にも興味があります。プロレスラーになる人って、普通みんな運動神経がよかったり素質があったりしますけど、今うちの団体には見事に「できない系」の子たちが集まっちゃって(笑)。でも、そんな「絶対プロレスに適してないよな」っていう子を育成して、逆にそういう子たちの方がお客さんは応援できるんじゃないかと思うし、そういった実験的なことをやっていきたいです。
――当初はなかった育成への興味が湧いてきたのですね。
黒潮 僕のそもそもの師匠がTAJIRIさんで、TAJIRIさんもアメリカから帰ってきてSMASHを立ち上げて、若い子をいっぱい育てていたじゃないですか。そういうのを見てると、自分のやりたいことがTAJIRIさんに似てきたのかな、と思います。僕はプロレスラーになって15年、この業界に入って18年ぐらい経つんですけど、「やりたいこと」っていうのは達成していくうちだんだん減っていって、次第に自分のやりたいことが団体経営とか若手育成になってくる。今まで培ってきたものを団体という形にして、お客さんがどう評価してくれるのかっていうのが気になるし、それがすごく楽しいんです。だから、「これって結構、俺が本当にやりたかったことなのかな」って今は感じてます。

――育成ということで言えば、今回対戦する船木選手もかつて指導を受けた師匠の一人となります。当時の船木選手はどんな印象でしたか?
黒潮 すごい怖い人だと思っていたんですけど、「思ったより怖くなかったのが逆に怖かった」というか。不思議な現象でした。船木さんに弟子入りして、もちろん船木さんのことは知っていたんですけど、あまり知識が無かったので試合を見てみようと思って、1発目に見たのがバス・ルッテン戦だったんです。だから「ええー! 俺この人とこれからやっていくの!?」って衝撃を受けました(笑)。練習はキツかったんですけど、自分自身も変わっていって、期間は半年ぐらいですけど、思い出の濃さで言ったら5年ぐらいの感じがします。なので、船木さんがWRESTLE-1を辞める時は特別に悲しかったです。
――それだけの関係性が築けていたのですね。
黒潮 僕は当時、船木さんが辞めることを知らなくて。ちょうど武藤(敬司)さんとのシングルマッチを控えていた時で、船木さんはその前に伝えようと思っていたらしいんです。でも、大事な試合前だからって気を遣ってくれて、終わってから言おうと。で、武藤さんとのシングルが後楽園ですごい盛り上がって、僕が満足そうに控室に帰ってきたから、今度は「暗い気持ちにさせるのはやめよう」と思って言わなかったって、後で聞きました。それで結局、僕はTwitterで退団を知って、「ええー!」ってなって。次の日の千葉大会の控室で直接言われて、まだ21とか22歳だったからすごい泣いちゃって。船木さんとはアッという間に練習が始まって、アッという間にいなくなってしまった感じでした。
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