アイドルレスラーで一世風靡のキューティー鈴木「生まれ変わったら…」

そのとき、「合格」との言葉は聞かれなかった。とりあえずひとりでオフィスに出かけてみると、ジャッキー佐藤と面談。そのときの話から「合格」とわかったのである。ついに、ずっと夢見てきたプロレスラーになれるのだ。
「ところが、受かったとわかった瞬間、急に現実に戻って怖くなってしまったんですよね。夢を追いかけてるときはよかったけど、私にできるのかな、何もできない、何も知らないのに続けられるのかなって、不安に思ってしまいました。でも、親を説得してここまできたので、引き下がるわけにはいかなくて」

※本人提供
不安はある意味、的中した。練習生になると、厳しいトレーニングが待っていた。鳴り物入りでやってきた風間ルミや神取忍は例外。
ほとんどはあこがれから門を叩いた素人だ。そんな彼女たちに、新日本プロレスの山本小鉄やグラン浜田から男子プロレスのエッセンスまで注ぎ込まれたのである。
「それまで激しい運動したことないから足はパンパンになるし、腰は打つは身体のあちこちが痛いわで大変でした。でも痛い、休みたい、ケガしましたとか言えなくて、悪循環でどんどん悪くなっていきましたね。いま思い出しても、あの時代には戻りたくない。それくらい辛かったんですよ」
とはいえ、厳しい練習があったからこそデビューにこぎ着けた。1期生は秋元康がプロデュースしたことからも話題になった。彼女につけられたリングネームは、「キューティー鈴木」。本格派をめざしていた本人には不服でも、周囲から見ればキューティーはキューティーだった。

※本人提供
キュートなルックスのキューティーは、プロレス以外のところでも注目を集めた。デビューから3年ほど経ってからか、グラビアやテレビ、CMへの出演が多くなり、全国的に知名度をあげていく。
「芸能の仕事で忙しくなっても、自分が出てる番組や雑誌を見ることもなかったので、仕事はしてるけど自分がどう映ってるのか実感がなかったんですね。見てる暇もなく次から次へと仕事をこなしていましたから。もちろん、練習も試合もあるし」
キューティーの人気、知名度が上がっていく一方で、団体はピンチを迎えていた。旗揚げから6年目の91年1月にジャパン女子は解散。キューティーは闘う場を失った。そのまま引退してもおかしくなかった。しかし…。














