アイドルレスラーで一世風靡のキューティー鈴木「生まれ変わったら…」

「最後の大会が終わったあと、全員が事務所に呼ばれたんです。そこでスタッフの人たちから『新団体を作ろうと思う』という話があって、『新団体でやってくれる人はここに残って、違う道を歩んでいこうと思う人は退出してください』みたいなことになり、そこで残ったメンバーがJWP。退席した人のほとんどがLLPWとなったんですね。そのときの私は、もうプロレスできないのかなとか考えながらボーっとしてたんです。席を立つ人が出てきたりするなかで、たまたまとなりにいた尾崎(魔弓)から『オマエはここに座っていればいいんだよ』と言われて、そのままそこにいました。LLに行った人たちがどんな経緯でそうしたのか、私にはわかりません。ただ、最初から決まっていたとGAMIさんが(トークショーで)言ってましたね(苦笑)。私は誘われなかったと(笑)」

 そうして92年4月にJWPが旗揚げ。キューティーは中心選手として活躍した。翌年には団体対抗戦が勃発。JWPからはダイナマイト・関西&尾崎組が出陣し、圧倒的不利が叫ばれるなかで大健闘。これをきっかけに、クラッシュ以来のブームが到来、対抗戦時代が幕を開けたのだ。横浜アリーナでのビッグマッチでは、殺伐とした試合に加え、キューティーと井上貴子による究極のアイドル対決が大いに注目されたのである。

「あまり興味がないと言ったら失礼ですけど、最初、対抗戦をやりたいとの感覚は私にはなかったです。ただ、関西&尾崎の試合を見てJWPが下とは思わなかったし、結果的には自分もやってみてよかったと思いました。というのも、井上京子選手が衝撃的だったんです。私はそれまでただがむしゃらにやってきたというか、お客さんを意識しながらやってきたつもりだったけど、実はそうでもなかったのかとも思わされた。京子選手はなにもかもがプロフェッショナルで、本当のプロ意識に気づかされたような気がしましたね」

 対抗戦で女子プロの新たな魅力を知ったキューティー。ホームリングでもJWPの顔として闘い続けてきたのだが、30歳になる前の引退を決断。付け人をつとめていた久住智子(日向あずみ)ら、後輩たちの成長を肌で感じたのが一番の要因だ。

 そして、98年12月27日の後楽園ホールで引退。2005年には35歳で結婚、2人の男の子に恵まれた。振り返ってみれば、91年にジュニア王座獲得、JWPタッグ王座を5度獲得したものの、団体頂点のシングルベルトを巻くことはないままリングを下りた。12年のキャリアは意外と短い。やはり、キューティーとは記録よりも記憶に残るレスラーだったのだ。


※本人提供

「(シングル王座を)ほしいかほしくないかと言ったらやっぱりほしかったですけど、そこは私の実力というか、私のなかではプロレスの歴史に名前が出てくるような選手になりたかったんですよね。アイドルレスラーに最初は反発してイヤだなと思っていたんですけど、そこに乗っていく方が自分には合ってるのかもとも思うようになりました。まさかこういう(アイドル的な)進み方をしていくとは考えてなかったですけど、それがあったから12年続けられたのかなとも思います」

 いまではアイドルレスラーが当たり前の女子プロ界。その先駆者でもあるキューティーが後輩たちにアドバイスするとすれば…。

「みんなかわいいし動けるし、すごいと思いますよ。そのなかで自分の個性を見極めて、活かしてほしいなって。見つけたもん勝ち、活かしたもん勝ちだと思います。私は、やられてかわいそうと思われたいとかはなかったですけど(笑)、やられていても応援してもらえる選手にはなりたかった。相手からはやりづらい、おもいきりできないと思われたくなかった。もう一度闘いたいと思われる選手になりたい思いでやってました。まあ、ジャパンのときは余裕がなくて、考えられるようになったのはJWPになってからですけど(笑)」

 では最後に、プロレスラーになってよかったかどうか聞いてみると…。

「よかったです! それは断言できます。自分の夢をちゃんとあきらめずに追いかけられましたからね。楽しいことと辛いこと、どっちが多かったかと言ったら、絶対辛いことの方が多いんですよ。だけど、辛い部分を全部消してくれるくらいの楽しいことがありました。お客さんの応援とか、いい試合ができたときとか。いい仲間にも巡り会えて、本当に運がよかったと思います。生まれ変わったら? またレスラーになってもいいかな。でも、いまのプロレス難しそうだし…。オーディション? (いまたくさんあって)どの団体に行っていいかわからない(笑)」 

インタビュアー:新井宏

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