【2AW】リッキー・フジ、37年のロックンロール「俺の人生、苦労なんてない。全部が楽しい」

還暦を「ただの通過点」と語り、団体の未来を担う若者たちへ、温かくも鋭い視線を送る千葉密着・発信型プロレス2AW所属のリッキー・フジ。

そのレスラー人生は、決して平坦な道のりではなかった。

新日本プロレスからの“夜逃げ”、師ミスター・ヒトとの出会い、そしてFMWでの激闘。脳梗塞という大病を乗り越え、今もリングに立ち続ける原動力とは何か。

“邪道”大仁田厚との知られざる絆、そして、後輩たちへ伝えたい、ロックンロールなプロレス哲学。

37年間のレスラー人生を振り返る、その言葉の全てが、リッキー・フジの生き様そのものだった。

■脳梗塞からの奇跡の復帰。「早くプロレスがしたかった」

――改めて、リッキーさんのレスラー人生について伺います。数年前、脳梗塞という大病を患われましたが、そこから不屈の精神でリングに復帰されました。ファンや関係者、皆が本当に心配していましたが、当時の心境はいかがでしたか?

リッキー:ありがたかったですね。でも、あの時の気持ちは、もう「早くプロレスがしたい」、それしかなかったです。自分の中で、やっぱりプロレスしかない。プロレスをしていない自分は、自分じゃない。そう思っていましたから。

――退院されたその日に、道場へ直行して受け身を取った、という伝説も伺いました。

リッキー:ええ。退院する日、花見(達也)と進垣(リナ)が、たまたま事務所にいて、車で病院まで迎えに来てくれたんです。「花見がどうしますか?」って言うから、「道場、行ってくれ」と。それで、道場に着いて、真っ先に受け身を取りました。一発、バーン!と。


「写真:本人提供」

――すごいですね……。

リッキー:それが、一番怖かったですからね。3ヶ月も休んで、ちゃんと受け身が取れるのかどうか。でも、リングに上がって、一発取ってみて、「ああ、大丈夫だ」と。それで、安心しました。たまたま、その時道場にいた吉野が、僕の受け身の音を聞いて、「ヤバい、リッキーさんが受け身取った! もし倒れてたらどうしよう……」って、しばらく怖くて見に来れなかったらしいですけどね(笑)。

――(笑)。その復帰戦について、大仁田厚選手からも、すぐに電流爆破での復帰戦のオファーがあったそうですね。

リッキー:そうなんですよ。退院してすぐに、大仁田さんから「12月に電流爆破やるけど、出れるか?」って連絡があって、「出ます!」って即答したんです。でも、うちの(十枝)会長から、「リッキー、復帰戦は、うちでやってくれ」って言われて。それで、2AWでの復帰になりました。大仁田さんからのオファーも、あれはあれで、「待ってるぞ」っていう、エールだったんだと思いますけどね。

 

■“邪道”大仁田厚との絆。「師匠であり、親父であり、友達」

――大仁田厚という存在は、リッキーさんにとって、やはり特別ですか?

リッキー:特別ですね、もう本当に。直接、何かを指導された、ということはないんですけど、あの人は、僕にとって、師匠であり、時には親父であり、兄貴であり、そして、時には失礼ですけど、友達でもある。そういう、不思議な関係ですね。

――リッキーさんのキャリア初期、まだスタイルが受け入れられなかった時代に、唯一、背中を押してくれたのが大仁田さんだったとか。

リッキー:そうなんです。1990年に日本に帰ってきた時、僕のスタイルは、今とほとんど変わらない。でも、当時は、時代が早すぎたんでしょうね。「なんだ、アイツは。海外かぶれしやがって」って、ブーイングを食らうことも多かった。でも、そんな中で、大仁田さんだけが、たった一人、「リッキー、もっと派手にやれ。気にするな。やりすぎるぐらいでいいんだ。そしたら、お前の味が出るから」って、言ってくれたんです。あの時の、あの一言があったから、今の僕がいる。本当に、感謝しかないですよ。


「写真:本人提供」

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