【SSPW】髙橋“人喰い”義生が56歳で現役復帰! 船木誠勝と高山善廣が背中を押した“戦う理由”「俺が本物の関節技で竹田に地獄を見せてやりますよ」
昨年12月、髙橋“人喰い”義生が7年ぶりに現役復帰を果たした。同年6月の「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレス」の会場に突然、姿を現し船木誠勝のセコンドに付くと、同年9月、今度は川村亮のセコンドとしてリングサイドで試合を見守り、試合後は大乱闘。
髙橋はマイクを掴むと「本物のストロングスタイルを教えてやる!」と復帰を宣言したのだ。2018年のジ・アウトサイダーを最後にリングから遠ざかり、56歳で現役復帰を果たした髙橋の想いとは。東京都東大和市のファイティスジムMSCで会員の指導に当たっている髙橋を直撃した。
(プロフィール)
髙橋“人喰い”義生
1969年3月13日、千葉県出身。八千代松陰高、日大でレスリングを経験し、91年、プロフェッショナルレスリング藤原組入門。92年デビュー。93年、パンクラス旗揚げに参加。97年、UFC初出場で日本人UFC初勝利。
01年、パンクラスヘビー級王座決定トーナメントを制して王座戴冠。13年、パンクラスで引退。2017年ハードヒット、2018年ジ・アウトサイダーに参戦もその後はリングから遠ざかり、昨年12月、初代タイガーマスクストロングスタイルプロレスで現役復帰。
髙橋は、漫画「高校鉄拳伝タフ」(猿渡哲也作)に登場するプロレスラー高石義生(人食い義生)のモデルで「リングネームに人喰いを使わせて貰ってます」と髙橋。
一度プロレス格闘技から離れよう。
普通の仕事をしてみたが……。

――髙橋さんの現役復帰に驚いたプロレス格闘技関係者は多いと思います。しばらく会場にも現れなかったですよね?
「2017年にハードヒットで佐藤光留と試合をして、それを最後にプロレス格闘技から一回離れたかったんですよ。身体はボロボロでちゃんと動けなくて『一度プロレス格闘技から離れて普通の仕事をしてみよう』と思い、整体の仕事を5年ぐらいしてました。ただ『やぱり生きる場所が違うな、また格闘技に携わりたい』と考えていた時にファイティスジムMSCからトレーナーの話があって、すぐに乗っかったっていう感じなんですよ」
――それが2023年。Facebookを拝見したら2年以上掛けて身体を作り直して「戦える身体」に戻されたんですね。
「休んでいる間に悪かった内臓も良くなり、痛めていた右目の手術もして、身体は良くなりましたけど、もう外見なんか気にせずトレーニングもしてなかったので『普通のおっさん』になってましたから(笑)。55歳の誕生日に『ゴジラプロジェクト』と勝手に言って身体作りを始めて、松井秀喜さん=愛称ゴジラ=背番号55が会員さんたちには全然通じなかったですけど(苦笑)、身体を戻せたのは会員さんたちのおかげです。会員さんは格闘技未経験者が多いし、普通に『ダイエット目的です』という人も一杯いるんですよ。そういう人とスパーリングしようとしたら『髙橋さんは身体が大きくて、力が強すぎるから』と拒否されてしまいまして(笑)」
――どれぐらい体重はあったのですか?
「その頃は100キロ近くありました(苦笑)。それで『みんなで身体を作っていきましょう』と呼びかけて、自分は79キロまで落としたら去年から寝技のスパーリングに入れるようになりました(笑)。そこからバルクアップして90キロぐらいにして、少し腹も出てしまったのでもう一度落として、今は90ぐらいです。『50代でも格闘技で身体は変わりますよ』と会員さんに身をもって示した感じなので、ファイティスジムMSCがなければ現役復帰もしていなかったでしょうね」
現役復帰を決めるまでのドラマ。
船木誠勝さんと高山善廣に背中を押されて。

――お聞きしてると「現役復帰するための身体作り」ではなかったのですね。
「始めた頃は復帰までは考えてなかったですね。復帰するまでいろんな流れがありましたけど、1つはジムで今どきの若い子たちに背中で示したい、という想いです。『チャンスはどこにでも転がってるぞ。ただチャンスを掴むか掴まないかはその人次第だよ』とよく話すんです。今どきの子って、みんな『何となくやってみていい感じだったら』というんですけど、明確に『プロになる』『チャンピオンになります』っていう子がそんなにいないです。だから『見ててごらん。やることをちゃんとやっていくとチャンスは転がってくるから、あとは掴めばいいんだよ』と自分で見せているつもりです」
――そうだったんですね。
「身体を一度絞って、バルクアップして、もう一度絞って今の身体になったタイミングで船木(誠勝)さんから突然連絡を貰ったんですよ。お互いに携帯番号は変わってて、僕も船木さんの連絡先を知らなかったんですけど、誰かから聞いてメールでやり取りするようになって『9月の新崎人生さんとの試合を見に来ない?』と誘われたんです。木曜日はジムを僕がメインになって回す日なので休めないんですけど、その日は特別に休みを貰って後楽園ホールに行ったら、船木さんが突然『セコンドに付かない?』。会場では僕の身体を見た選手や関係者から『コンディション良さそうだね』『復帰するんですか』と聞かれて、その試合の後に『試合をしませんか』という話がポンと来た。だから『ここは乗っかってやるべきでしょ』と思い復帰したんです」

――2年も掛けて作った身体が試合のオファーにつながったんですね。
「そうなんです。準備が整った時に人から誘いを受けて、誘いに乗っかったらチャンスが来た。それと、バックステージで準備を終えて、船木さんの入場曲が掛かって入場する直前に船木さんが目で『行くぞ!』とアイコンタクトしてきた時、昔の記憶がフラッシュバックしたんですよ。その瞬間にゾクゾクして『俺もまた試合がしたい』って思っちゃったんですよね(笑)」
――いい話です。東京ドームの船木誠勝vsヒクソン・グレイシー(2000年)の時も髙橋さんがセコンドでしたよね。
「そうです。やっぱり船木さんなんですよね。船木さんが『セコンドに付いてよ』と言ってくれていろんなものが繋がった。それと1個、忘れちゃいけないことがありました。髙山善廣のことです。44歳の時に一度パンクラスで引退試合をして、ちょっとダラダラした生活をしてた時にどこかの会場で髙山と『髙橋さん、また一緒にやろうよ!辞めるの早いよ!』『俺は目が潰れてるしできねえよ』という会話をして。その後に佐藤光留から試合の話が来て出たんですけど、同じ頃に髙山が試合中の事故でああなっちゃった。俺に戻ってこいと言ってたお前が……、とそこでまた気持ちが折れてしまって」

――そうだったんですね。
「格闘技の世界にトレーナーとして戻って、身体を作り直している時も『タカヤマニア』の会場には行っていたんです。会場で髙山に会って『髙橋さん、また試合やらないいの?』と聞かれて『いやあ、俺、できねよ』と言ったら『なんで!?』と食って掛かってきたんですよ。俺は目がさ、と言おうとして髙山を見たら『そんなこと小さな問題じゃん』と思って、それから復帰を考えてトレーニングするようになったんです。ただ、僕がやることをやったからといって簡単に上がれるものではないから、運が良ければって感じでいたらいろいろつながって復帰することになったんです。だから、復帰にあたっては髙山がすごい力になってくれましたよ」

――髙山さんに背中を押されたんですね。
「髙山とは金原弘光さんが主催したU-SPIRITSで一度やってるんですよ(2011年)。エベレストジャーマンを喰らって頭頂部から叩きつけられて(苦笑)。負けてしまいましたけど、あの試合は僕の中のプロレスのベストバウトです。だから、今年、身体を壊さずに戦い抜いて、ぜひタカヤマニアにも出たいと思っています」
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