初代タイガーマスクが語る、45年間の感謝と“新武道”の集大成「これからの自分の生き様をまだ見せることができる」
■猪木イズムの継承と、自己採点は「80〜85点」だった伝説の初陣

――当時、プロレス格闘技にあこがれを抱いたのも、強さへの思いが根底にあったんでしょうか?
初代タイガー あれは小学校ぐらいだったと思いますが、最初はミル・マスカルスから始まって、ドリー・ファンクJr、ビル・ロビンソン、もちろんアントニオ猪木が筆頭になりますけど、猪木イズム、一番惹かれたのは「プロレスに市民権を」という言葉でした。
――そんな猪木さん率いる新日本プロレスに入門し、76年6月にデビュー。実際にプロレスラーになったことで、プロレスに対する理想と現実を突きつけられたこともあったと思います。
初代タイガー 理想通りのこともあれば、理想通りにいかなかったこともある。両方ありました。それは一生言いませんけどね。
――猪木さんを筆頭とした新日本プロレスの道場で“強さ”が磨かれたと思います。
初代タイガー 「プロレスに市民権を」と掲げた以上、強くなければいけないし、それだけのことをやっていかなければいけない。そして、それだけのことをアントニオ猪木はやっていました。それを実践できるという喜びがありましたね。
――78年から約3年間の海外遠征を経験。そして81年、タイガーマスクとして白羽の矢が立ちました。
初代タイガー まず海外遠征に関して言うと、海外に行ったら自分を売り込まないといけない。やりたくないこともやらなくてはいけないし、やろうとしていることも忙し過ぎてできない時がある。そのなかでも理想があるとするならば、それはピッタリこなしていたところはありますね。海外ではプロモーターに好かれなければ生きていけない世界ですから。そのなかでプロレスの技も磨いてきたつもりですし。その動きが皆さんのニーズにあったかもしれないですね。
――そんな土台があったからこそ、1981年4月23日に産声をあげたタイガーマスクは日本中を魅了したんだと思います。熱狂の初陣を終えて、佐山さんのなかでも確信や自信が生まれたのでは?
初代タイガー それはなかったですね。
――なかった?
初代タイガー ある程度はありましたけど、自分としてはいい試合じゃなかったと思ってます。
――急ごしらえのマスクやマントもあって懐疑的な視線を向けていた会場のファンやお茶の間をあれだけアツくさせましたが…。
初代タイガー あ、いい試合だったのかと思っただけで。自分としては体が動いていないし。悔しいから、(初陣以降は)あれ以上の試合をしようと心に決めましたね。
――そうだったんですか。ご自身にとっては満足のいく試合ではなかったんですね。
初代タイガー まったく。自分ではダメだと思ってましたから。100点満点でいったら、せいぜい80点か85点ですね。
――昨年死去された新間寿会長はあの試合を絶賛していました。
初代タイガー 新間さんは喜んでくれてましたね。あの目が忘れられないです。
■熱狂の裏にあった葛藤と、新日本プロレスへの感謝

――初陣以降、ダイナマイト・キッドしかりブラック・タイガーや小林邦昭選手らライバルたちと熱戦を繰り広げました。やりがいのある充実した日々でしたか?
初代タイガー 充実感というのはなかったですね。ストロングプロレスを標ぼうしている新日本プロレスがこんなことやってていいのかなと。
――むしろ葛藤があったと?
初代タイガー この様なマスクをかぶってていいのかなという気持ちが最後までありましたね。
――タイガーマスクの戦いの中にはストロングスタイルがあったとは思うのですが?
初代タイガー ストロングスタイルはダイナマイトマイト(・キッド)、小林邦昭さん、ブラック・タイガー等との試合で非常に見せられましたね。
――ただ、佐山さんの思いとは裏腹にあの当時、日本中を熱狂にるつぼに誘いました。なぜタイガーマスクは日本中を魅了したと思いますか?
初代タイガー やっぱり僕のスタイル、動き、駆け引き。これは新日本プロレスの若手であった3年間、その時の練習だとか、その時作ってくれた試合法とか、それが全てだったと思います。決して自分だけの力ではないし、それを作ってくれた新日本プロレス、猪木さん、山本小鉄さん、先輩の皆さんに感謝ですね。
――冒頭にも感謝を口にされていましたが、自分ひとりで創りあげたタイガーマスクではないと?
初代タイガー そうですね。猪木さんの土壌や考え方がなければできていないです。
――猪木さんとはその後もUFOやIGFなど時代やリングが変わっても接点がありました。猪木さんにとっては数少ない心許せる弟子だったんだと思います。
初代タイガー あまりにも近くなり過ぎてしまった時期もありましたが、アントニオ猪木のためにやろうという使命感はありました。
――83年8月にタイガーマスクであることに区切りをつけました。当時は葛藤やいろいろな思いがあるなかでの決断だったと思います。
初代タイガー (当時の思いは)プロレスにはもう復帰しないで、格闘技を創ると。その格闘技は30年後に花開くものだと。それでルールから創っていったわけです。
――日本であり、世界の格闘技の礎になりました。
初代タイガー それは自負しています。そういうことをたいした問題だと思うのは過ぎちゃって。やってる時は大変でしたけど。武道を追求する方が大切だなと思う時間の方が長くて。
――武道探求の思いはいまも不変だと?
初代タイガー 変わらないです。















