【新日本】引退を発表した“心優しき猛牛”天山広吉、闘いに捧げた満身創痍のプロレス道!8.15両国でリングに別れ
新日本プロレスの象徴的な存在が、また一人、マット界に別れを告げることとなった。
「猛牛」天山広吉が、来る8月15日(土)、両国国技館大会にて現役生活に終止符を打つことが正式に発表されたのである。
長年にわたり、その分厚い胸板で団体の荒波を受け止め、どんなに過酷な状況でも決して逃げ出すことなくリングに立ち続けた猛牛の決断。
多くのプロレスファンが寂しさと、そして最大限の労いの思いを抱いていることだろう。
モンゴリアン・チョップ、アナコンダ・バイス、TTD(テンザン・ツームストン・ドライバー)。
唯一無二の必殺技を武器に、幾度となく会場を熱狂の渦に巻き込んできた。
今回は、新日本プロレスの一時代を間違いなく築き上げた「天山広吉」というレスラーの偉大な足跡と、強面なルックスとは裏腹に誰からも愛された素顔について、私なりの言葉でこの歴史を紐解いてみたい。
■「夏男」の称号と、燦然と輝くタッグ戦線の金字塔

天山広吉の残した実績を振り返ると、改めてその途方もないスケールに圧倒される。
プロレスラーの最高峰であるIWGPヘビー級王座戴冠、実に4回。
真夏の祭典「G1 CLIMAX」においては、2003年、2004年、2006年と3度の優勝を果たし、「夏男」の称号を欲しいままにした。
だが、猛牛のキャリアを語る上で絶対に外せないのが、タッグ戦線における圧倒的な実績である。
IWGPタッグ王座戴冠は、驚異の12回。これは歴代最多戴冠記録であり、最多通算防衛記録保持者でもある。まさにタッグの神様に愛された男と言っていい。
蝶野正洋との「蝶天タッグ」では、悪の軍団nWoジャパンからTEAM 2000へと続くヒールユニットの主力として、新日本マットを黒く染め上げた。
そして、生涯の盟友である小島聡との「テンコジ」では、新日本のみならず全日本プロレスの『世界最強タッグ決定リーグ戦』を2度制覇し、NWA世界タッグ王座までも獲得。

プロレス大賞の最優秀タッグ賞を3度受賞するなど、日本プロレス史に残る伝説の名タッグチームを築き上げた。
シングルプレーヤーとしての圧倒的な突破力を持ちながら、誰かと組むことでさらに光り輝く。
天山は、相棒の長所を引き出し、自らも活きる術を知り尽くした、究極の「タッグ屋」でもあったのだ。
■理不尽な愛に揉まれた若手時代と、幻の「夜逃げ」

これほどの輝かしい実績を持つレジェンドであるが、若手時代は決して順風満帆なエリート街道を歩んできたわけではない。
むしろ、先輩レスラーたちからの理不尽な「かわいがり」の標的となる、愛すべきイジられキャラであった。
道場時代、橋本真也や獣神サンダー・ライガーといった、いたずら好きの猛者たちの悪ふざけの被害にしょっちゅう遭っていたことは、ファンの間では有名な語り草である。
額に爪楊枝を突き刺す宴会芸を強要されたり、エアガンで撃ち落とした雀の肉を焼いて食べさせられたり……。
現代のコンプライアンスでは到底考えられないような凄まじい環境の中で、若き日の天山はもがき苦しんでいた。

あまりの過酷さに一度は本気で「夜逃げ」を決意し、実行したことがあるという。
また違うタイミングでも深夜、同期の西村修らと涙ながらに別れの固い握手を交わし、いざ道場を出ようとした。
しかし、その直後に猛烈な睡魔に襲われて爆睡してしまい、朝を迎えて夜逃げは未遂に終わったというオチがついている。
もしあの時、眠気に打ち勝って道場を飛び出していれば、後のIWGP王者も、テンコジの栄光も存在しなかった。
プロレスの神様が、猛牛に睡眠薬を飲ませて引き留めたとしか思えない奇跡的なエピソードである。














