6月15日は「放浪の殺し屋」ジプシー・ジョーの命日 強烈な個性と頑丈な体でプロレスファンを魅了した
6月15日は2016年に82歳で亡くなった「放浪の殺し屋」ジプシー・ジョーの命日。
昭和のプロレスファンにはたまらないキャッチフレーズだろう。令和では口に出しにくい「殺し屋」であり、しかも「放浪の」である。恐ろしい中にも哀愁が漂う。
リングネームも本名のヒルベルト・メレンデスからは想像もつかない。「ジプシー」は一般的にはヨーロッパで生活する移動型民族を指すが、今では「差別的」とされており、言い換えることが推奨されている。
1975年(昭和50年)9月、国際プロレスに初来日した際には「スペインを放浪するジプシーの若きリーダーだったが、白人9人を殺して国外に逃亡。マット界に身を転じた」と紹介されている。冷静に考えればとんでもない経歴である。
実際はプエルトリコ出身といわれ、63年にニューヨークでレスラーデビューしている。時差も距離もなく、世界中に同時に情報が伝わる現代では考えられないが、プロレスには夢とロマンが求められる。何とも恐ろしいキャリアがまことしやかに伝えられたのだ。
果たして、リングネームに負けない迫力あふれるファイトで、昭和のファンの度肝を抜いた。背中にパイプイスを叩きつけられても、頑丈な肉体はびくともしない。何発も食らううちにイスの方が壊れてしまった。
「金網の鬼」ラッシャー木村と血みどろの死闘を繰り返し、IWA世界ヘビー級、同タッグ、WWU世界ジュニア王座などに挑戦。国際の崩壊後には全日本プロレスに転戦し、UNヘビー級、IWA世界ヘビー級、アジアタッグ、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級ベルト奪取に挑んでいる。戴冠こそならなかったが、ヘビー、タッグ、ジュニアと幅広く活躍している。

90年代、2000年代にも来日し、日本でのラストファイトは10年12月。77歳にして往年のファイト同様、体でイスをぶち壊し大きな歓声を浴びている。
日本では無冠に終わったが、GPWヘビー級、NWA世界ブラスナックル、NWA南部タッグ、NWAミッドアメリカ・タッグ、USWAジュニアヘビー級、ICW世界タッグなど、全米各地のタイトルを奪取。破天荒なファイトだけにとどまらず、無類のタフネスに加え、テクニックも披露した。
頑丈な上に持ち前のクレイジーさで、会場の備品を壊してしまうこともしばしば。その弁償費用もバカにならず団体泣かせの一面もあった。
だがリングを離れると紳士ぶりを発揮。リング上の血だるまになりながらの暴走ぶりからは想像もつかない優しい人だった。会場で売られていたソーセージをほおばりながら、ちびっ子ファンたちと歓談する様子が目撃されている。
また、会場の通路で出くわし、恐ろしくて立ちすくんでしまった女性ファンには、体を半身にして「どうぞ」という感じで通していた。ごく自然にレディファーストだった。とても「放浪の殺し屋」とは思えなかった。
外国人選手も日本人選手も体格、ファイトスタイルに違いがなくなって来た令和のプロレス界。リング上でもリング外でも「古き良き時代」を絵に描いたような個性の塊「放浪の殺し屋」ジプシー・ジョーのような選手が懐かしい。(敬称略)
Pages 1 2















