【レジェンド外国人レスラー伝】暴力と知性の狭間で生きた“超獣”ブルーザー・ブロディが証明した「プロレスラーの凄さ」
ブルーザー・ブロディという男を語る時、多くのファンはまず暴走する怪物を思い浮かべるだろう。
長髪を振り乱し、チェーンを手に場内を練り歩く姿。雄叫びを上げながら観客席へ雪崩れ込み、リングを破壊するかのような荒々しいファイト。
『超獣』、『キングコング』、『インテリジェント・モンスター』――数々の異名が示す通り、ブロディはプロレス史上屈指の怪物であった。
だが、その本質は本当に「怪物」だったのだろうか。
むしろブルーザー・ブロディとは、プロレスというジャンルの矛盾と本質を誰よりも理解していた天才であった。
昭和のプロレス黄金期を振り返ると、外国人レスラーは大きく二種類に分けられる。
絶対王者として君臨するチャンピオンタイプ。あるいは日本人エースの前に立ちはだかる憎まれ役である。
しかしブロディはどちらでもなかった。勝敗を超越した存在だったのである。
勝っても強い。負けても強い。むしろ反則負けになっても強い。リングアウトになっても強い。
そんな理不尽なレスラーが過去にいただろうか。
日米のマット界を荒らし回ったブロディの存在感は、まさに絶対的であった。
しかし、ブロディというレスラーを語る上で欠かせないのは、あの野獣のような風貌の裏に隠された、もう一つの顔である。
今回は、1988年に42歳の若さでこの世を去った悲劇のレスラー、「インテリジェント・モンスター」ブルーザー・ブロディの素顔と、強烈なプロレス哲学について、迫ってみたい。
■ アメフトからスポーツライターへ。遅咲きのインテリジェンス
ブロディ、本名フランク・グーディッシュのキャリアは、決してエリート街道を歩んできたわけではない。
大学時代はアメリカンフットボールで鳴らし、NFLのワシントン・レッドスキンズの練習生にまで選ばれたが、正規ロースターへの昇格は叶わなかった。その後、いくつかの新聞社でスポーツ
ライターとして働きながら、酒場の用心棒で生計を立てていたという。
プロレスラーとしてデビューしたのは1974年、すでに27歳という遅咲きであった。
だが、この「スポーツライターとしての経験」と「プロレス界に入るまでの社会経験」こそが、超獣の根幹を形成したと言えるだろう。
単なる力任せのレスラーではなかった。「プロレスはチェスのようなもの」と語り、常に頭脳をフル回転させてリング上のドラマを構築していた。
ジャイアント馬場やジャンボ鶴田も、狂乱のラフファイトの裏に隠された、緻密で頭脳的な試合運びを高く評価していた。
盟友であり、同じ時代を暴れ回ったスタン・ハンセンとの違いについて、二人の猛攻を身をもって知る天龍源一郎は、実に見事な例え話で表現している。
「ハンセンにはプロレスの凄さを、ブロディにはプロレスラーのすごさを教わった」
これらの言葉に、インテリジェンスに裏打ちされた「計算された狂気」と、プロレスラーとしての途方もないスケールの大きさがすべて集約されていると言っていい。
■ 「チェーンは魂の象徴」超獣ギミックとスーツ姿のギャップ
代名詞といえば、入場時に振り回す太いチェーンと、毛皮のブーツである。
一見すると、野獣性をアピールするための安易な小道具に見えるかもしれない。しかし、ブロディ自身はこれについて、極めて理路整然とした説明をしている。
「プロレスを初めて見る子供やお年寄りに『あのチェーンをブルブル振り回す奴は誰だっけ』という印象を与えるため」
これこそが、自らをプロデュースする上での明確な戦略であった。
新日本プロレスに初参戦した際、古舘伊知郎氏のインタビューに対しては「チェーンは魂の象徴」と答えている。
毛皮のブーツにしても、足首の傷を保護するため、あるいは逞しい上半身に比べて細い膝下を隠すためだったという説がある。
自身の肉体的な弱点すらも、ギミックの強力な武器へと変換してしまうインテリジェンスである。
その知性が爆発した象徴的な出来事がある。
1985年3月、全日本プロレスから新日本プロレスへの電撃移籍を果たした際、後楽園ホールに姿を現した超獣は、いつものチェーンと毛皮ではなく、なんとビシッと決めたスーツ姿であったのだ。
そしてアントニオ猪木への宣戦布告後、こう語ってみせた。
「イノキの瞳にバーニングスピリットをみた」
ただ暴れるだけの野獣ではなく、闘う相手の魂の奥底を見極め、ファンに言葉で情景を想像させる。まさに哲学者のような一面を覗かせた歴史的瞬間であった。
その一方で、控室での姿はリング上の狂乱ぶりからは想像もつかないほど静かだったという。















