【レジェンド外国人レスラー伝】戦慄のデンジャラス・バックドロップ!四天王プロレスを過激化させた“ドクター・デス” スティーブ・ウィリアムスが魅せた「プロレスラーの凄み」
プロレス界には、そのリングネームや異名が、これほどまでにレスラー自身の生き様やファイトスタイルを見事に体現している例は少ない。
「Dr. Death」、すなわち「殺人医師」と呼ばれたスティーブ・ウィリアムス。
この男は文字通り、リング上で相手を仕留めるためだけの冷徹なる技術と、人間離れした圧倒的なパワーを兼ね備えた、怪物であった。
ウィリアムスが放つ急角度のバックドロップは、プロレス史上最も危険な投げ技として今もファンの脳裏に焼き付いている。
しかし、この殺人医師の生涯を振り返る時、我々は単なる強さだけでなく、その裏に隠された一人の男の途方もない「不屈の精神」と「深きプロレス愛」に直面することになるのだ。
今回は、49歳という若さで天へと旅立ったスティーブ・ウィリアムスに迫ってみたい。
■ アスリートの極み。エリート街道からマット界への鮮烈な飛躍
ウィリアムスのバックボーンは、他のレスラーたちとは明らかに一線を画していた。
コロラド州に生まれ、オクラホマ大学時代にはアメリカンフットボールのレギュラーとして活躍し、さらにレスリングでは大学選手権4連覇という、信じがたい偉業を成し遂げている。
まさにアメリカのスポーツエリートであった。
卒業後はUSFL(かつて存在したアメフトのプロリーグ)に入団し、そのオフシーズンを利用してプロレスのリングに上がるようになる。
1986年、新日本プロレスに初来日した際、分厚い筋肉の鎧を身に纏いながら、リング上での動きは、見る者の度肝を抜いた。
同年8月には早くもアントニオ猪木とのシングルマッチが組まれ、その潜在能力の高さを見せつけている。
■ 「殺人魚雷」の誕生と、全日本マットを震撼させたデンジャラス・バックドロップ

ウィリアムスのプロレス人生が最高潮に達したのは、1990年の全日本プロレス参戦からである。
ここで彼は、運命のパートナーと出会う。
「人間魚雷」テリー・ゴディである。二人の異名を合わせた「殺人魚雷コンビ」は、当時の世界タッグ戦線において無敵の強さを誇った。
パワーとテクニックを完璧なバランスで融合させた二人の連携は、まさに芸術の域に達していた。
世界最強タッグ決定リーグ戦での2連覇、さらにはアメリカのWCWでもタッグの頂点に立つなど、日米を股にかけた大活躍を見せたのだ。
そして、ゴディが心疾患で戦線を離脱して以降、ウィリアムスはシングルプレイヤーとして恐るべき覚醒を遂げる。
その象徴が、1993年秋の小橋健太との三冠挑戦者決定戦である。
この試合でウィリアムスが小橋に放った、相手を頭頂部から垂直にマットへ突き刺す驚愕のバックドロップ。
「デンジャラス・バックドロップ」と呼ばれたこの一撃は、四天王プロレスの過激化を決定づけた、歴史的なフィニッシュ・ホールドであった。
翌1994年夏には、絶対王者であった三沢光晴を撃破し、ついに三冠ヘビー級チャンピオンの座を戴冠する。
「誰がこの男に勝てるのか?」
当時の全日本マットは、ウィリアムスの放つ恐怖のオーラに完全に支配されていた。
強靭な肉体、スタミナ、そして一撃必殺のバックドロップ。
ウィリアムスは、プロレスラーとして求められるすべての要素を兼ね備えた、まさに「最強」の称号にふさわしい男であった。













