【訃報】不屈の暴走機関車ジョー・ドーリングさん、44歳で逝去。病魔と闘い続けた元三冠王者が日本のリングに遺した熱き魂
全日本プロレスで三冠ヘビー級王者として君臨し、その圧倒的なパワーと闘争心で日本のプロレスファンを魅了したジョー・ドーリングさんが、脳腫瘍との長い闘いの末、26日にこの世を去った。享年44。
カナダのプロレス団体「メープルリーフプロレスリング」が訃報を伝えた。
日本のプロレスを深く愛し、幾度病魔に倒れてもリングへの帰還を目指し続けた不屈の男が、静かに天へと召されたのである。

米シカゴ出身のジョー・ドーリングさんは、2004年12月にプロレスラーとしてのキャリアをスタートさせた。
大きな転機となったのは2007年6月の来日である。
全日本プロレスの留学生として道場の門を叩くと、当時社長を務めていた武藤敬司の目に留まり、瞬く間にその才能を開花させた。

同年12月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」では武藤敬司のパートナーに大抜擢され、初出場での優勝という快挙を達成。
翌2008年1月には世界タッグ王座も獲得し、日本マット界におけるトップ外国人選手としての地位を確固たるものとした。
その後も全日本プロレスを主戦場として暴れ回り、2014年7月には最大のライバルの一人である諏訪魔を撃破して、全日本プロレスの至宝・三冠ヘビー級王座を初戴冠した。

しかし、レスラーとして絶頂期にあった2016年、悪性脳腫瘍が発覚するという非情な運命がジョー・ドーリングさんを襲う。
過酷な闘病生活を余儀なくされたが、リングへの情熱の炎が消えることはなかった。
2017年1月2日の後楽園ホール大会で奇跡の復活を果たすと、同年10月には再び諏訪魔を下して三冠王座を奪還。
死の淵から蘇り、最高峰のベルトを腰に巻いた不屈の姿は、多くのプロレスファンに深い感動と勇気を与えた。

2022年5月31日に行われた「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」では3年ぶりの来日を果たし、ジェイク・リー、大森隆男らと組んで宮原健斗、鈴木みのる、秋山準らと激突した。

元気な姿を見せたものの、同年8月に脳腫瘍の再発が判明。
手術を要する状態となり、惜しまれつつも現役引退を決断した。

脳幹の手術を受けた後は右半身に運動失調が残り、車椅子での生活を送りながら懸命にリハビリに励んでいたが、2025年12月に3度目となる脳腫瘍の発症が確認された。
2026年6月にはホスピスでのケアに入ったことが明かされており、穏やかな最期の時を過ごしていた。

悲報を受け、ジョー・ドーリングさんの逝去を伝えた「メープルリーフプロレスリング」は、公式X(旧ツイッター)を通じて哀悼の意を表した。
26日の午前9時13分に、家族の温かい眼差しに見守られながら静かに息を引き取った事実を報告した上で、「この世での生涯はわずか44年であったが、その一年のすべてに、千年に匹敵するほどの生きがいを詰め込んでいた」と、短くもあまりに濃密であったプロレスラーとしての生涯を最大級の言葉で称賛した。

さらに、深い悲しみに暮れる妻リンジーや家族を慮りつつ、「強さ、勇気、そして精神を永遠に記憶にとどめる、世界中の数え切れないほどの友人や熱心なファンたちが残された。安らかに眠ってほしい。決して忘れられることはない」と、故人が遺した精神的な遺産の大きさを強調し、万感の思いを込めて別れを告げた。

また、かつてジョー・ドーリングさんが主戦場としたアメリカのプロレス団体「TNA」も追悼のメッセージを発表。
「リング上での圧倒的な存在感と素晴らしい人柄で、決して忘れられることはない」と、闘争心あふれるファイトスタイルとは裏腹の温厚な性格を偲び、遺族や関係者へ深い哀悼の意を捧げている。
病という見えない強敵に対し、倒れても倒れても立ち上がり、不屈の魂を燃やし続けたジョー・ドーリングさん。
日本のリングで最も輝き、日本のファンに愛された“暴走機関車”ジョー・ドーリングさんの勇姿は、これからも人々の記憶の中で生き続ける。
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